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十本指のブログ

十は残りのもの。残りのものには至福がある。

「鬼の門」を「私の門」に変えるためのステップ

聖書とクルアーンの神の名を「私だ」という。そして、聖書とクルアーンでは「七」が【全て】や【聖なるもの】を意味する。

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実は、日本は、ずっと昔から聖書の神『私だ』を「鬼」「牛」「死」に結びつけ、現代でも呪っている―――と言うと唐突に聞こえるだろうか。

日本人は、自己主張が嫌いで、自己アピールが嫌いで、自分の頭で考えることを嫌う。

また、日本は自分の国が嫌いだ。国民は日の丸や君が代を嫌い、NHKや主要メディアが日本を悪者にし、韓国や中国に謝れと言い続け、政治家は日本を愛せず、先生たちは日本の象徴に否定的で、自衛隊も日本を愛せない。

これら自己否定、自国否定は全て、日本人が『私だ』という神を否定することから生じている。

日本の東京や京都や鎌倉では、「鬼門」が寺社で封印されている。この「鬼門」の鬼は、【七殺】をする祟り神だと言われている。


ところが、聖書『創世記』2章3節には

>神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。

とある。聖書の「七」は、基本的には【全て】や【聖】を意味し、【神】や【主】をも意味する。

この「七」は、聖書より古いメソポタミア神話から始まった。「七」は、聖書に継承され、ゾロアスター教イスラーム教、インド、ユーラシア大陸に伝わり、中国や日本にも伝わった。

また、アーリア系であるインド人・イラン人は、牛を聖なる動物として扱う。


次に、日本(や中国)で七や牛がどう扱われているか見てみよう。


渡辺綱に腕を斬り落とされた鬼は「七日間」で腕を取り戻す。

・鬼は「牛」の角を持っている。

・宇治の橋姫は、貴族の女性で貴船神社に「七日間」こもってから鬼女になった。→「丑の刻参り」に派生。

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・鬼童丸は「牛」を殺し、「牛」の死体に隠れて頼光四天王を狙う。

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・「牛鬼」は、「七尺」の体で、倒されると「七日七夜」血を流す。

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・七月七日の「七夕」は、「牛飼い」の彦星が一年に一度しか織姫に会えない。

・「北斗七星」は「死」を司る老人の神。

・地獄の獄卒である「牛頭」馬頭(ごずめず)は地獄の鬼。

・草木も眠る「丑」三つ時に…。

・「七人ミサキ」は「死者」の行進。

・コトリバコは畜生の血を「七日間」満たして作る。

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・お葬式の法要は四十九日(7×7)で、昔は七日毎に段取りがあった。


このように、日本では「七」や「牛」がやたらと悪者扱いされ、「死」や「鬼」と結びつけられている。

これらは偶然ではない。日本は、七を聖とするゾロアスター教ユダヤ教キリスト教イスラーム教を排除し、また牛を聖なるものとするインド・イラン文化を踏みつけ、利用している。


日本では「五」、五柱の別天津神五行思想を使い、七、つまり世界の全てから閉じこもっている。

そのため日本には、
「左舞(左三つ巴)+右舞(右二巴)」
「五色の旗」(仏教
「五戒」(仏教
「五味」
「五穀豊穣」
など、五に関するものが非常に多い。


そんな日本でも「七」の力は封じきれず、暦が変わり、一週間は「七日間」になった。「七並べ」という遊びも入ってきた。「七五三」や「七草」もある。

繰り返して言う。「七」は【全て】や【聖なるもの】である。七を聖とする神の名は『私だ』。

日本は、聖なる七を、『私だ』という神を「鬼」や「牛」と「死」と結びつけ、呪い、封じ、隠し、閉じこもっている。日本人は「鬼は外」と言うことで、「私は外」と自分を呪っている。

だから、日本人が自分の祖先の神『私だ』を取り戻し、自分を取り戻すには、「七」を重んじ、「五つの杭」を引き抜かなければならない。


祇園祭を司る八坂神社の『祇園牛頭天王御縁起』
伏見稲荷大社祝詞稲荷大神秘文」
・日本酒の納め先である「松尾大社

という「京都文化」「お米」「日本酒」という三つの伝統を調べると、謎が解け、呪いが解けていく仕組みになっている。また、大本教も解呪に役立つことだろう。

日本人が聖書とクルアーンの『私だ』という神を嫌い続ける限り、神(私)を鬼だと信じている限り、自分と自分の国が嫌いな民族であり続ける。

聖書の神、クルアーンの神は、日本人の神、自分が自分らしくいられる神である。



三柱と七柱揃ったら山に行けよ。――『日月神示

箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。――『創世記』8章4節

やがて、声あって曰く、「大地よ、汝の水を呑みほせ。大空よ。鎮まれ」と。すると洪水は引き、事件は完全に了(おわ)って、舟はジューディー山の上に止った。その時、また声あって曰く、「ことごとく滅び去れ、悪人ども」。――『コーラン』11章(フード章)46節


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7月17日 京都・祇園祭山鉾巡行