十本指のブログ

十は残りのもの。残りのものには至福がある。

批評は差別や偏見を終わらせるもの

批評は、差別や偏見や先入観や思い込みを終わらせるもの。会話スキルだ。


――と聞いてすんなり「そうですね」と思うだろうか?


これは、批評の普通の意味で、理想でも高い意識でも何でもないのだが、知っているだろうか。


wikiにはこうある


>批評(ひひょう、英語・フランス語:critique)とは、ある事象を(できるだけ無前提の思い込みを排する形で)判断することである。


【できるだけ無前提の、思い込みを排する形】


なので、差別や偏見や先入観といった【思い込み】は排除することが、普通の批評だ。批評とはこういうフェアなものだ。


だからたとえば、「イスラムは悪いやつだ」という前提のニュースが流れ、その前提を期待した人たちが視聴者の場合、


ニュース側にも視聴者側にも<批評がない>
そのニュースは<差別的で信頼できない偏向報道だ>。


そのニュースに細かい知識・情報があるか、苦労して情報を集めた、経験や具体性があるかは全く関係ない。


批評があるかないかは、差別や偏見や先入観といった<思い込み>を排除した、フェアな判断かどうかだけだ。


批評は、アンチ偏見、アンチ差別の良いものである以上、普通に子供たちの教育に必要とされ、普通の会社でも使われる。


しかし、日本の学生も、日本の大人も「批評とか難しい知識を押しつけるな!」という被害妄想に逃げる。


そして、批評と言えば


・【偏見や差別や先入観という思い込みが前提】

・【悪いを多めに言い、良いことは言わないか少なめに言うこと】


という全く「反批評を批評」だと思い込み、この狂った観念を全世代で共有している。


日本人の全世代が差別や偏見や先入観や思い込みを無くす批評を嫌っている。


だから当然、日本人の全世代は差別や偏見や先入観や思い込みがひたすら増大している。


そして、日本人は「人それぞれさ」と自分のカラに閉じこもるだけの、悲しい民族と化している。


もちろん、このような狂気は日本特有で、海外でこんな話は聞いたことがない…。


主よ、勇気がなくおつむの弱い日本人をゆるし、彼らに勇気と知恵を与え給え。