ヒストールのブログ

ふんぐるい むぐるうなふ

英語「WORLD」と「セカイ」系の哀しいズレ

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実は能力で英語の「WORLD」を示している

 

        

          東浩紀はくたばれ!(あいさつ)

 

          クッ。わがうちなる荒魂あらたまよ…鎮まれ…鎮まれ…

          俺の左手丶丶に宿るアラハバキが暴れ出す…!

          という痛々しい台詞で暴言をうやむやにし

          つつ「WORLD/セカイ」語りを始めよう。

        

          WORLD の翻訳「世界」は半分ズレている。

          WORLDの語源は印欧祖語 weraldi-

          wer "man"《人》と ald "age"《世》。

          ウェアウルフ(人狼)のウェアが《人》の意。

          ワーが《人》でアルドが《世》。

      

          WORLD単体でも

 

          「人間種(the human race)」

          「人類(mankind)」

          「人間性(humanity)」

 

          の意で使えるが

          「世界」だと《人》が抜ける。 

        

          ワールドカップ🌏🏆は1951年から。

          ガイア的な意のワールドは1900年から。

          日本人がなんとなく知るワールドはこの辺。

 

          だがWORLDは古英語でギリシャ語やラテン

          語やノルド語の影響がある。馬鹿な日本大

          衆や馬鹿な日本新聞や馬鹿な日本ニュース

          や馬鹿な日本教育に合わせても馬鹿になる

          だけでワールドの使い方はわからない。

 

          東浩紀は「セカイ」語りが好きなようだが、 

          東浩紀は「批評」「批判」「文学」「哲学」

          「科学」「物理」「歴史」「政治」「宗教」

          「存在」「現実」「自然」「社会」「文化」

          「理論」「意見」「思考」「感情」「気分」

          「理性」「悟性」「感性」「直感」「関係」

          「伝達」「交流」「会話」「会談」「談話」        

          など英語から造られた全文字誤訳の漢字につ

          いて何も考えてない。これらは英語からの造

          語と言いつつ一文字も合ってないし、日本の

          カルチャーを全く引き継いでもいない。その

          ことがわからないのは浅田彰柄谷行人も小

          林秀雄も同じだ。西周の誤訳レールに乗る豚

          ども、和辻哲郎西田幾多郎井筒俊彦も含

          めて「世界」語りは「人」を齎さない。

         

          東浩紀の著作は「セカイ」以前の無知による。

    

          「存在/existence」     

          「自然/nature」

          「現実/reality」

          「社会/society」

          「政府/government」

          「政治/politics」      

          「宗教/religion」

          「原則、原理/principle」

          「会話/conversation」            

          「意見/opinion」

          「思考/thinking」

          「理論/theory」

          「哲学/philosophy」

          「文学/literature」

          「批評、批判/critique」

         

          東浩紀はこれら全文字誤訳への考えがない。

          現代日本語には膨大な造語があり、それらの

          誤訳レールに乗る多様な豚は《人》ではない。   

          実際「世界」「自然」「憲法」「性格」「物

          理」の全誤訳は原語にある人体が欠けている丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶

          カタカナ語のワールド、ナチュラル、キャラ        

          クター、フィジカルも人体の意が無いか薄い。

          「人それぞれ」と言うが、《人》が欠けた語

          を語る「批評」家はcritiqueを語る《人》に非

          ず。「批評」「ワールド」、都市伝説や昔話

          や童話や伝説や神話や聖書が欠けた「批評」

          家の「セカイ」系カタリは無と同じだ。