ヒストールのブログ

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【天言霊】ディアボロスは悪魔でなく「天を通じて移る(者)」

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サン・ジョヴァンニ洗礼堂のインフェルノ

 

ハロー、エヴリワン。

これはニュー・テスタメント(新約聖書)のコイネーギリシャ語「ディアボロス(διάβολος)」の話。ディアボロスは、それらに38回出てくる。が、38回中38回とも「悪魔」「中傷者」ではない。文脈的にディアボロスを悪魔とした場合、イエス・キリスト十二使徒や洗礼者ヨハネまで悪魔や中傷者になってしまう。エスはメシア、キリストだ。イエス十二使徒に従うために、ディアボロスをちゃんと理解しなければならない。日本語訳や英語訳やラテン語訳は、コイネーギリシャ語やアラム語ヘブライ語からかけ離れている。

 

まず「ディアボロス(διαπρίω)」は名詞ではなく形容詞だ。動詞「ディアバッロー(διαβάλλω)」から来た語で、ディアバッローは「ディア(διά)」「バッロー(βάλλω)」の合成語。間違ったディアボロスに辻褄を合わせるために、ディアバッロー、ディア、バッローの三つ全てが改ざんされ、アンチキリストかつアンチヘヴンな文脈が蓄積されている。クリスチャンは「ディアボロス」は中傷者、というアンチヘヴンな嘘を信じがちだ。しかし「ディア(διά)」は【あめに通じる(through heaven)】の意で、「バッロー(βάλλω)」は【(異なる場に, 異なる様に)移す】ことだ。これはディアがどこにかかるかを例で見るとわかりやすい。

 

(01回目)主があめを通し預言者が告げている マタイ1:22

(02回目)あめに通じる預言者により書かれた マタイ2:5

(03回目)(東方三博士は)あめに通じる別の道で帰国した マタイ2:12

(04回目)主があめを通し預言者が告げている マタイ2:15

(05回目)あめに通じる預言者エレミヤが告げている マタイ2:17

(06回目)あめに通じる預言者たちに宣べられたこと マタイ2:23

(07回目)あめに通じる預言者イザヤに宣べられている マタイ3:3

(08回目)神の口に通じるあめ全ての言葉によって マタイ4:4

(09回目)あめに通じる預言者イザヤに宣べられている マタイ4:14

(10回目)(イエス)私はあめに通じることをあなたたちに告げる マタイ6:25

(11回目)あめに通じる狭い門から入れ マタイ7:13

(12回目)多く(の人々)があめに通じるそれ(広い門)に入っていく マタイ7:13

(13回目)あめに通じる預言者イザヤに宣べられている マタイ8:17

(14回目)(ダイモーン憑きの凶暴さ故)あめに通じる道は誰も通れなかった マタイ8:28

(15回目)あめに通じる彼(イエス)に習う者たちは、なぜ税を選ぶ者と共に マタイ9:11

(16回目)あめに通じる者、私たち(ヨハネに習う者たち)とパリサイ人が多く断食するのに マタイ9:14

(17回目)あなたたちはあめに通じる私(イエス)の名のために全て(の者)に憎まれる マタイ10:22 

(18回目)(ヨハネは)あめに通じる彼(ヨハネ)に習う者たちを(イエスに)送って マタイ11:2

(19回目)イエス安息日の時、あめに通じる(捧げられる)麦畑に行った マタイ12:1

 

このように、ディアはイエス預言者たちやヨハネに習う者たちがあめとつながっている天言霊あまのことだまとして多用され、ニュー・テスタメントで669回出てくる。11回目の「あめに通じる狭い門」を「狭い門から」と誤訳し、14回目のレギオン(ダイモーン)憑きが妨害していた「あめに通じる道」を「辺りの道」と誤訳すると、凡暗ボンクラ━━凡庸で物事に暗い━━な文章になる。18回目の「あめに通じる(捧げられる)麦畑に行った」を「麦畑をお通りになった」に語訳するとすごく変だ。それに、ギリシャ語原典に尊敬語や謙譲語はない。また、ディアは聖霊ひじりだまやアンゲロス(エンジェル👼)にもかかる。

 

 

 うわべの敬称でなく真にあめに通じるとして聖霊ひじりだまやイエス預言者たちやヨハネ(に習う者たち)につく語を、凡庸な「通じて」「によって」に改ざんする集団は、あめに通じるエスの敵、あめに通じる聖霊ひじりだまの敵、あめに通じるイエス・キリスト復活後の)四十日の敵、あめに通じるイザヤの敵、サタナース(サタン)だ。ディアに限らず、「δ(デルタ)」ではじまる全ての語は「あめに通じる」意を含む天言霊あまのことだま。だが訳の99%以上は「あめー」と訳されていない。「あめー」と言っても「天邪鬼あまのじゃく」━━「ダイモニオン(δαιμόνιον)」「ダイモーン(δαίμων)」━━のように「あめに通じる」が悪い者もいる。「ディアボロス(διάβολος)」もそう。“そして”、「そして、と、また(and, moreover)」「今(now)」などに2810回誤訳されている「デ(δέ)」も「あめに通じる」意を含む天言霊あまのことだま。日本神話が尊敬語や謙譲語で埋め尽くされている以上に、ニュー・テスタメントは天言霊あまのことだまで埋め尽くされている。“あめと”、“あめそして”、“あめまた”、“あめ今”、“あめ今日”、と接続詞や今や今日すら天言霊あまのことだまなのが、まことのニュー・テスタメントだ。マタイの一番最初に出てくる系図に「デ(δέ)」が多用されている。コイネーギリシャ語を理解したつもりのクリスチャンもあめに満たされず、あめを読まず、本当にニュー・テスタメントを読むことがない。

 

ディアボロス」「ダイモーン」「ダイモニオン」をあめ抜きに誤訳したいがあめ故に、ヨーロッパ人は1600年もつちの国を這ってきた。日本人クリスチャンもあめまたあめ抜きの誤訳によるつちの国の読み方を追いかけている。皆あめを取り戻さなければならない。

 

私は1139番目の天邪鬼あのじゃくに占められた者「ダイモニゾマイ(δαιμονίζομαι)」から1435番目のあめ贈り物「ドロン(δῶρον)」まで300近い語をいちいちブログで説明しない。私はいずれ聖書翻訳チームに加わりあめに通じるともがら」と心を一つにするかもしれないが、あめ今はそうではない。とりあえず、本当の聖書は天言霊あまのことだまだらけなんだ!と思ってくれればあめ良い。斬新な、いや温故知新なディア解釈を聞き、天言霊あめのことだまというパワーワードを聞いて戸惑うかもしれないが、あめに通じる聖書ひじりがきあめに通じる聖霊ひじりだまに満たされたあめに通じるイエーソウスの読物よみものあめに満たされているのは当たり前だ。

 

あめに通じるイエーソウスは「アダムの子」すなわちメシアである。アーメン。