ヒストールのブログ

ここは新葦原中邦の島

ヒストールがムスリムになった日と新極東のヴィジョン

 

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聖地マッカ
 
 アッサラームアライクム(あなたがたに平和あれ)。
 わたしムスリムヘブライ語聖書タナハとエラダ(ギリシャ)語聖書ヴィヴリア好きのヒストール、よろしくね。
 これはヒストールがムスリムになった日とその後の蓄積から、極東のモダン化について述べる記事。
 
※この記事で下線が引かれた熟語は、英語誤訳(ほとんどが日本語になかった造語。または使い方を根本的に変えた語)。
 
 ヒストールは家族も親戚も無宗教。ヒストールが通ったのは無宗教の幼稚園〜大学。学生時代は無宗教の友達のみ。わたしは誰からも勧誘されずにムスリムになった。当然、ヒストールはアラビア語の礼拝ができる(ムスリムムスリマの礼拝はアラビア語のみ)。
 
※通訳を通じての導者どうしゃの助言
イスラーム朗唱クルアーン』により聖職者制度がなく、全員が一般信徒。聖職者/俗人、聖域/俗世間などの聖俗差別がない。導師はあくまで社会的な仕事。)
 
 ①「少しずつ。生活を急に変えないこと。」
  「ムスリムムスリマとだけ友達になろうとしないこと。
  「ムスリムムスリマでない人との関係を切らないこと。」
 
 ②「他の一神教の人と議論しないこと。」
  「多神教の人と議論しないこと。」
  「無宗教の人をと議論しないこと。」
  「イスラームと違う一神教多神教や無宗教の人を変えようとしないこと新興宗教でないため宗教勧誘ノルマはない)。」
 
 ③「他国の人になろうとしないこと。
  「あなたがムスリムになりたてだから、他国の人が自国のやり方が正しいからそれをやれと言ってくるかもしれない。そういう人に従わないように。」
  「あなたは日本人で日本育ち。だから日本に合って、あなたに合ったやり方をゆっくり探して。あなたはあなたになりなさい。他の人にならないように。急がないように。意識的にゆっくり歩んで。」
 
 あとは40分くらい「プラスな話」ばかり。ほとんどは【どういう時、アッラーに祈りが通じやすいか】だった。「〜するな」という怖い禁止や脅しのような話は記憶にない。アメリカのポジティブシンキングの綿密版…的な話だった。わたしは「金や恋人が欲しいとアッラーに願っていいのですか?」と導者どうしゃに尋ねたが、通訳者も導者どうしゃも【なぜそれをわたし宗教的にいけないと思うかがわからない】という反応をした。預言者ムハンマドは大商人の名門クライシュ族であり、クルアーンは商人言葉であり、イスラムは「商売が反宗教的」という考えや伝統がない。またイスラムには「恋人や結婚相手を望むことが反宗教的」という考えや伝統がない。何もかもが根本的に違う…。イマームからの助言は特に珍しいものではなく当たり前の話。だが、日本育ちのわたしにとって、入信したその日に「宗教多神教や他宗教の人と議論しないで」「布教されないで布教しないで」「と面と向かって言われるとは思わなかった。わたしは「自分たちと違う人に暴言や陰口を叩き、集団で差別や無視をし、己や集団を律するモラルやマナーなき日本人」しか知らなかった。その時のわたしは、アメリカ日本に押しつけなかった憲法GHQ草案)を知らなかった。

 

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GHQ草案第十一条から第十三条国会図書館

 

十三条 一切の自然人は「法律上」(※誤訳。正しくは「法律以前に」)平等なり政治的、経済的または社会関係において人種、信条、性別、社会身分階級または国籍起源の如何によりいかなる差別的待遇も許容または黙認せらるること無かるへし
Article XIII. All natural persons are equal before the law. No discrimination shall be authorized or tolerated in political, economic or social relations on account of race, creed, sex, social status, caste or national origin.
 
差別の許容や黙認がモラルに反すること、欧米では定着したモラルだが、日本では敗戦後の日本官僚が国民に無断で握りつぶした。GHQ側は提案した、「日本人にアメリカ案か日本案か投票で選んでもらおう」と。この事実も投票も日本官僚が握りつぶした。GHQ草案は日本国憲法と違い、【外国人と日本人は平等で権利がある】。
 

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GHQ草案第十四条から第十六条(国会図書館

 
第十六条 外国人は平等に法律の保護を受くる権利を有す
Article XVI. Aliens shall be entitled to the equal protection of law.
 
もしもアメリカが日本に憲法を押しつけてたら、差別の許容や黙認が違憲だったし、外国人の平等と人を認める条文があった。アメリカが外国人に平等と人なしの日本国憲法をつくり押しつける理由がない。現行憲法は【別の日本案より悪く】、老害に都合がいい底辺憲法だ。天皇も現行憲法も総投票で選ばれたものではない、日本老害(日本官僚)の押しつけだ。日本人がいま、外国人を差別し、差別の許容や黙認できるのは、底辺憲法を改正しなかったため。ヨーロッパ諸邦の共立トモタチ憲法はconstitutionの趣旨を全否定する最悪の誤訳)は日本の底辺憲法とは比べ物にならないほど良い。日本人は「差別の黙認や容認が現代モラルに反する」という情報すら遮断している。日本以外の敗戦ホウ(〈国〉の字は帝国主義の残滓、ドイツ、イタリア、ルーマニアハンガリーフィンランドブルガリア、タイ、ビルマ〔現ミャンマー〕は、憲法をアップデートしている。そもそも日本人だけだ、憲法を改正しない、改正のために議論意見交換をしない、市民(選挙する者のこと)が選挙や政治について考えないのは。日本は敗戦国の底辺だ、押しつけられなかったGHQ憲法を知らず、現行憲法を「押しつけ憲法」と被害妄想して70年思考停止してる。こんな敗戦国民は日本人だけ。
 

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ジョージ・オーウェル1984年』
 
 それ以前に、憲法に使われる国民主権権利自由義務教育政治宗教原理経済などキーワードがほとんど英語からの全文字誤訳で造語、他は英語と漢字からかけ離れた誤訳で、ひどい誤用と実害を伴っている。現代日本語は、西周(1829‐1897)、箕作麟祥(1846-1897)、井上哲次郎(1856‐1944)らの訳者によって二千語以上造られ、日本初の哲学辞典『哲学字彙』(1881)やその増補版で爆発的に広まった。しかし、それらの翻訳方針は「英単語に合わせないで通俗的に広める」路線のため、九割以上が誤字誤訳となった。現代日本語の数百は英語誤訳と誤用、何の伝統もない造語ばかりで現代性がなく日本語でもない。ほか、翻訳ではない造語には〔努力〕〔頑張る〕〔仲間〕〔仲良し〕〔目上目下〕〔先輩後輩〕〔上司部下〕がある。これらはまったく現代や日本とつながっていない洗脳語だ。だから憲法や敗戦以前に現代日本語そのものがディストピア小説の洗脳語(ニュースピーク)同然、という大きな課題がある。
 

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『哲学字彙』(1881)
 
 わたしがこうして非現代で非日本語な現代日本語からの洗脳から脱出できたのはムスリム以後だ。たとえば“教え語”、教育教科書教会宗教教皇司教は全て英語からの全文字誤訳丶丶丶丶丶で造語、日本語ではない。当然、イスラームもキリストもユダヤ宗教や教えではないし、エジュケイションは教育でなく、ティーチャーは教師ではない。欧米のエジュケイションと日本の教育はかけ離れている。かつて神道は神祇、仏教は仏法や仏道儒教は儒道だった。日本人は祇や道や法を失い、“教え”や教育という空っぽの教義を盲信するロボットになった。壊れた儒仏は二度と元に戻らない。政府が神社合祀令(1906)で破壊した七万の神社も戻らない。祇儒仏は無知無力で自他を助ける力がない。加えて、“学ぶ語”も中身のない全文字誤訳と造語だらけ。哲学文学科学化学物理学経済学宗教学芸術進化先進は全文字誤訳の造語だ。学校、学生、学長すら急ごしらえの誤訳。日本の無神論者は「教え語や学ぶ語が急ごしらえの誤訳」という初歩知識すらない。当然、これらの誤訳は誤用と勘違いがひどい。“教え語”や“学ぶ語”は勘違いと傲慢さでできている。日本人が考える現代はおままごとだ。日本人と言うより漢字圏十六億人は現代の法以前、法、ルール、マナー、コモン・センスに関して「何も考えて生きてないカルト信者」レベル。たとえば、漢字圏以外は「兄弟姉妹」「民」という上下差別用語がない。世界のシブリングズ(ブラザーズとシスターズ)はさん付けなしに名前で呼び合う。ラヴ、アガペーやエロスは同生どうせいを兄弟姉妹の上下差別で引き裂かない。ラヴは人を帝、貴族、庶民の生まれつきの不平等丶丶丶丶丶丶丶丶丶に引き裂かない。欧米に国民市民人民、公民、庶民、民間人なる差別用語はない。愛を知らない者だけが、兄さん、姉さん、〈国〉、〈京都〉、陛下、殿下のような避諱ひきを行い、欧米や中東やインドに兄弟姉妹や〈民〉がいると噓で洗脳する。洗脳は、全家庭、全学校、全テレビ局、全新聞、全出版に及ぶ。日本人が洗脳されている証拠に何も知らされない。漢字圏の〈民〉は世界にない差別用語な事、英語圏では性差のないシブリングズが好まれる事、世界のシブリングズは互いに名前で呼び合うこと。こんな最低限の情報すら極東ではシェアされない。ポープは教皇法王でなく【パパ】、プレジデントは大統領社長でなく【前座】、ミニスターは大臣でなく【小立コダチ】、ミニストリーは省庁でなく【小立コダテ】。漢字圏の父母や教育者や新聞記者やニュースキャスターや出版社表現者は「謙虚な現代西洋語」を必ず真逆に改ざんし、身近な者や他者を洗脳する。漢字圏の〈民〉はみな洗脳され、判断基準を奪われ、判断材料を奪われたカルト教団の子どもたち。昔も今も極東の〈民〉は、“目を針で突いて目を見えなくした奴隷”。
 

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〈民〉目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわす。

 
 欧米に国民、大臣、大統領はいない。アメリカやフランスに始まったリパブリックは帝に忖度した漢字〈国〉でなく、帝王や大臣や国民なき人の〈くに〉だ。世界120の〈邦々くにぐに〉は帝王や大統領や大臣や国民という差別用語がない。そもそも〈民【目を針で突いて目を見えなくした奴隷】〉は漢字圏だけの奴隷主義、奴隷支配だ。また、漢字圏では帝国主義の残滓、〈くに〉が皇帝への忖度から〈国〉にねじ曲げられたまま、直されていない。昔は民も使っていた一人称〈朕〉が今使われていない。昔は人が自らの父に使っていた〈皇〉が一般的に使われていない。昔は民も使っていた〈璽〉が一般的に使われていない。〈民〉〈国〉〈朕〉〈皇〉〈璽〉などが問題視できない〈民〉は昔のままの奴隷だ。〈民〉の心はまだ奴隷のままで人ではない。漢字の語源通り、日本では古代から江戸時代まで〈民〉は人でなく、権利なき草、民草だった。だから、明治時代に〈民権〉の言葉が会議の議題に出てきただけで、老害たち(多数派)は【民に権利があるとは何事だ!!!】と激怒し、会議にならなかった。実際、民は建国からずっと人でなしの草で治められるだけの【人以下のモノ】だから、日本の習わしからすれば、民に権利がない。日本が昔ながらの日本らしくあるとは、民は人ではない、人臣が民を支配する側、その上に帝がある━━不平等と無権利老害国だ。だが、近代の国際的取り決めは、人は同等で、民や奴隷を公とするなら国や邦ですらない。目を突かれた盲目の奴隷を示す〈民〉を基準にし、〈民〉に権利という誤訳をかぶせる〈民権〉や〈国民権利〉は狂っている。〈民〉も〈臣〉も〈武士〉も〈天皇〉も幻だった。日本には昔は天皇や大臣や貴族や武士がいたけどやめた━━のではない。元からそんな身分はなかった。天皇や大臣や貴族や武士など一人もいなかった。本当はみんなただの人だったのに、帝だ、大臣だ、武士だ、民だと嘘をついておままごとをやってきた。「昔は中国に皇帝がいたけれど今はいない」と言うのと、【元から帝や臣や民という身分が空想だった、全ての皇帝や天皇はただの人間だった。全ての民はただの人間だった】と言うのは話が違う。日本愚民や中国愚民は勘違いしてるから言おう。【人が生まれながらに等しい】とは、過去全ての帝王や貴族や戦士はみんな空想で、ただの人だったという話だ。いや、過去現在未来全ての身分は作り物で偽物丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶という話だ。十六億の愚民はそれを理解していない。昔は帝や王や殿が“いた”けれど、最近になって変えた、という話ではない。江戸時代になかった先輩や目上や上司や社長や上級国民は無、民共和国の独裁委員長も無という話だ。兄弟姉妹や帝や大臣や民という長いおままごとを含めての身分の無化だ。ヒューマン・ライツやイコールは、昔や今やこれからを含めての【生まれながらに等しい】だ。仮に生まれつき超能力や霊能力があろうと身分は生じない。愚民や老害は、過去の帝や王や貴族を「本物」の伝統文化として捉え、権利や平等は最近だけの作り物とさかさまに考える。ヒューマン・ライツやナチュラル・ローは、過去現在未来全ての身分丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶文化伝統ではない、身分は神聖さやネイチャーに基づかない偽物、非文化非伝統という話だ。ヒューマン・ライツ(人の正しさ)やナチュラル・ロー(生まれながらの法)は、国や邦の内輪で自称する偽物の身分文化伝統を全て消し去る。Rightは権や利と真逆の日常語「正しさ、右。正しい」だ。権利の誤訳を振りかざす十六億の愚民は、いまだにrightがまったくわからない。愚民や老害は、古い家庭身分や新造の身分を勝手に別枠にする。それらを別枠にしないでやめるのが「コミュニケーション」だ。
 

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自然は作り物

 

 Human Rightsの源、Natureは自や然とはまったく違う、ネイチャーは自然しぜんではない。自然しぜんは元々日本語になかった英語誤訳で誤用、作り物だ。スタジオジブリ宮崎駿は漫画『風の谷のナウシカ』では自然しぜんは誤訳で作り物と表現したが、その後はひたすら自然しぜんを隠蔽する下等な俗物になった。日本民は自然しぜんやカタカナ英語ナチュラルが英語誤訳で誤用とすら気づけない。日本民は権利の源が自然しぜんともわからないし知らない。なぜなら日本民は権利自然しぜんは、昔使っていなかった非日本語、誤訳で誤用と知らないからだ。日本民は、権利自然しぜんを知ってると幼稚にわめく。しかし、日本民は欧米にいない国民、大臣、大統領教皇、兄、弟、姉、妹、について何も知らない。日本民は、先輩後輩、目上目下、上司部下が造語で人権侵害で犯罪(法的拘束力がある国際人権規約に違反)とも知らない。日本民は、権利自然しぜんを知らない。日本民は、「コミュニケーション」が兄弟姉妹、先輩後輩、目上目下、上司部下タテ関係に使えないことすら知らない。「コミュニケーション」とは意識的にタテ関係をやめ、意識的に互いを対等にする丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶対人関係だ。タテ社会やムラ社会のなんとなく、まあまあ、なあなあ、「自然しぜんに」はコミュニケーションではない。これは国際ルール、コモン・センスで、国内でねじ曲げる事はできない。サッカーからボールを外したらサッカーではないように、タテ関係やムラ関係はコミュニケーションではない。日本人はコミュニケーションが苦手なのではない。日本人はコミュニケーションを【知らない】、できない、やらない、頑張らない、努力しない。日本人のタテ関係はコミュニケーションではない。日本人はコミュニケーションやるやらない以前に【知らない】し、知らせても幼稚に逆ギレする犯罪者が多い。それは人間としての最低限から逸脱している。こういう深い絶望を【死に至る病】と呼ぶ。

 

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豚はレンガの家を建てる
 
 バイブルやクルアーンでは、個を捨て、間違った分別をうのみにして群れる者を豚、その間違った分別を豚肉の比喩で呼ぶ。兄弟姉妹や民、日本では天皇や大臣というヒューマン・ライツに反する犯罪(法的拘束力がある国際人権規約違反)は、民主主義憲法国民主権権利義務教育などあらゆる洗脳語(これらは全文字誤訳だ)とセットであり、千の過ちでは済まない。この場合、豚肉は英語誤訳や間違ったカタカナ英語や短絡的な造語や老害価値観のことだ。日本のブタとはこれらをうのみにして群れる者たちの事だ。つまり、各日本民は元は人間だったブタ野郎やメス豚だ。日本民が新造した〔努力〕〔頑張る〕という悪い漢字は、何も変えなかった。日本民は江戸時代から一歩も進んでいない。一歩進むとは何か?

 

・タテ社会やムラ社会がコミュニケーションでない事をシェアする。
・間違った分別が豚肉とシェアする。
・間違った分別をうのみにして群れる男はブタ野郎とシェアする。
・間違った分別をうのみにして群れる女をメス豚とシェアする。
自然の誤訳廃止および《ウマレ》への改訳。
権利の誤訳廃止および《マサ》に改訳。
・民主主義の誤訳廃止および《政力マツルチカラ》に改訳。
憲法の誤訳廃止および《共立トモタチ》に改訳。
国民の誤訳廃止および《政人マツリビト》に改訳。
主権の誤訳廃止および《帝超ミカドゴエ》に改訳。
・〈国〉の避諱廃止および《邦》への改称。 
・〈京都〉の避諱廃止および《京師》への改称。
〈朕〉の一般使用(発音は中華の我、日本語のわたしでも、表記上で使うこと)。
・盲目の奴隷〈民〉の廃止および《人》《者》への変更。
・〈兄弟姉妹〉の廃止および《男朋オトモ》《女朋メトモ》《同生どうせい》《ともがら》への変更。
〈目上目下〉〈先輩後輩〉〈上司部下〉の禁止と厳しい取り締まり。
屋根の下の豚こと〈家〉の廃止および《館》への変更。
・東京都と京都の〈京〉独占の廃止、都道府県に〈京〉を付けて改称。全ての市町村民を《京人ミヤコビト(citoyen)》に変更。
ニュースや新聞、雑誌・広告・書籍などの出版において教皇大統領、大臣、国民のなどの差別用語を禁止し、改訳を使用する。
・“教え語”の教育宗教教会などの誤訳廃止と改訳。
・“学ぶ語”の哲学文学科学などの誤訳廃止と改訳。
・偽社の社会会社社長などの誤訳廃止と改訳。
・偽長の社長会長、部長、課長などの造語禁止。
・頑張れ、努力、仲間、仲良しの短絡的な造語による洗脳禁止。
 
 これらを公布し、実行し、長期的な中身を伴って初めて「一歩進んだ」と言える。〈家〉〈民〉〈兄〉〈弟〉〈姉〉〈妹〉を無知無自覚に使うことは、人生ではない。平等は上辺だけで、「東京都」「京都府」と他県の不平等な〈国〉は中世だ。シチズン市民しどれいではなく《京人ミヤコビト》かつ【その邦国全員の呼び名】とすら知らせない〈国〉は中世だ。市民がその邦国全員の呼び名とわからない(市民という誤訳と市町村差別が悪い)」仕組みは中世だ。もちろん、これらは「わかりやすい初歩」にすぎない。「わかりにくい初歩」もあり、それらは削ってある。まだまだ自覚できない差別用語を廃止してこそ人、今測イマバカリ(現代の正しい訳)だ。百ページ書こうが千ページ書こうが、民、兄弟姉妹などの空想に基づく紙の書は、このヒストールのブログ記事一ページに劣る。なぜなら、無の千ページは無であり、有の一ページに勝てず、戦えないから。いや、民、兄弟姉妹、大臣、天皇、先輩後輩、目上目下、上司部下という空想に基づく生は、人生として虚無であり、ヒストールの人生一秒に劣る。庶民の生は人生なき虚無だ。総理大臣の生や大臣の生も人生なき虚無だ。社長の生も人生なき虚無だ。天皇の生や皇族の生すら人生なき虚無だ。下線部は英語誤訳で造語━━具体的な行動も、経験体験も、会社社会も虚無から出て虚無に還る。無神論という無知無能の愚民から、これらの話は出てこない。極東の無神論者は真実を聞いても、反発、警戒、無反応、無関心などの幼稚な反応しかできない。極東の無神論者はただの無知、無能、無力、無法の馬鹿(笨蛋、머저리)だ。無神論者は、民、兄弟姉妹、国、市、家、の誤りに気づけない。無神論者は、憲法国民権利主権民主主義進化先進科学の全文字誤訳に気づけず、気づいても直せない。
 
  わたしの…いやわたしの話は聖書ヒジリガキ朗唱クルアーンヌシに基づく。民を振りかざした者は愚か者だ。しかし、たとえば中華人にとって、民を語った毛沢東の全てをいきなり無や悪とするのは良くない。モダンなネイシャンのアイディアを持った始皇帝こと嬴趙政えいちょうせいの全てをいきなり悪者とするのも良くない。真の知者たちはこの辺りを先導しなければならない。とは言え、〈民〉や兄弟姉妹の洗脳者、孔孟や老荘は全て悪かつ無とし、全廃しなければならない。ヘブライ語神女神エローヒームアラビア語アッラー、共に一人称が《朕々わたしたち》のヌシは、儒を全廃し、〈道〉を兄弟姉妹と民なき字として再編する。この記事は、有ゆえに万巻の書に勝つ。紙の新聞、紙の書は、無の民、無の兄弟姉妹、無の家ゆえに負ける。ヌシは唯一かつ《朕々わたしたち》。唯一な《朕々わたしたち》は愛ゆえに、兄弟姉妹に引き裂かなかった。
 
 たとえわたしが真実を述べても、〈民〉や兄弟姉妹を止めて人として受け取る者がいなければ真価が出ない。真価とはこれを受け取るあなたがもたらすものだ。ヒストールは誰よりも民をやめた人の君丶丶丶丶丶丶丶丶を必要とする。変化は少しずつだ。人の君はまだ支える中身もないのに急に一人称《わたし》を使ってはいけない。人の君が急に〈民〉や兄弟姉妹を全て止めたがるのは危険だ。これは少しずつやるしかない。慣れなければできなくて当たり前。できないことで己を責めないで。少しずつで良い。日本国は日本邦に、中国は中邦に、韓国は韓邦に必ず変わる。それらの先もある。それらは時ではなく人がやる事だ。時の囚人たる〈民〉は、中華四千年でも朝鮮二千年でも葦原あしはら(日本)千三百年でも変わらなかった。時は〈民〉を人に変えなかった。なぜなら時は愚帝だからだ。四千年の時は〈民〉を人に変えなかった。時という愚帝は、二十一世紀になっても十六億人の目を潰し奴隷に変える。愚帝の配下、時代という魔王も〈民〉を人に変えることは決してない。一人称が《朕々わたしたち》の聖なるヌシだけが、愛のヌシだけが〈民〉を人に戻せる。君が頼れるのは時や時代でなく聖主ヒジリヌシだ。まだ聖書ヒジリガキ朗唱クルアーンは誤訳しかない。今までのバイブル訳やクルアーン訳は兄弟姉妹, 〈家〉, 〈民〉,〈国〉,  尊敬語, 謙譲語などの誤りに満ちた偽訳しかない。今後正しい訳が出て広まるとしてもヘブライ語やエラダ(ギリシャ)語やアラビア語を本人が直に習わない限り、望みはまったくない。英語やラテン語はもちろん必要だが、ラテン語で止まれば、〈国〉や〈家〉や〈民〉や兄弟姉妹というエジプト丶丶丶丶から脱出する力は得られない。変な言い方になるが、葦原あしはら南北朝鮮や中華にとって、聖書ヒジリガキ朗唱クルアーンに書かれるエジプト丶丶丶丶は、儒道や老荘の兄弟姉妹や〈民〉や〈家〉や〈国〉に当たる。心の中でモーゼやアロンの後に従って極東エジプトのくびきから脱出し、ヌンの子エス丶丶丶を(ヨシュアは誤記)をモーゼの後継者として心に刻み、ヨシュア記改めエス丶丶丶丶を前触れとして読み、ヌンの子エス丶丶丶により、メシアがナザレのイエスと最初から決まっていたと知る。ナザレのイエスを、ヌンの子イエスから知れ。モーゼやアロンやヌンの子イエスを避け、新約聖書を漫然と読む者は一生愛を知らない。モーゼやアロンやナザレのイエスなしにマッカのムハンマドに至れない。「なぜヒストールはムスリムなのに聖書を語るの?」という愚問をやめるには、相当な準備が要る。聖書ヒジリガキなしにイスラームだけぽんと発生したわけではない。何事も少しずつだ。
 
 これらの文を読み終わった人は日本千三百年や朝鮮二千年や中華四千年を一気に通り過ぎた心地がするかもしれない。初耳なら飲み込めないのは当然だ。むしろ初耳でこれら全てわかったら怖い。初耳でこれらを飲み込む人はヒストールを超えた愛の人だろう。ヒストールはムスリムよりはハニーフ(イスラーム以前の信仰者)に近い。ヒストールはごく普通の人であり、神や天使ではない。【これらを良く噛むにはノコギリ(ソー)のような歯が要るし、柱を縛る鎖(チェーン)がいる】。わたしは『チェンソーマン』という聖書ヒジリガキに基づく漫画記事の体裁で、色々と語ってきた。わたしチェーンノコギリソーと漫画を通じて何を書いていたのか、聖書ヒジリガキ朗唱クルアーンを原語で読めばわかる。今のところは誤訳でもとりあえず聖書やコーラン丶丶丶丶(ひどいなまり)を読み、英語を通じて原語にさかのぼるしかない。
 
 では、またヒストールの記事で。グッバイ👋。
 
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