ハロー、ガイズ。
我は聖書と神話と天津甕星好きのヒストール、よろしくね。
これは『呪術廻戦』の真人が「閻魔の鏡(浄玻璃の鏡)」で虎杖悠仁のなりたい「正しい死を導く者」だからぶち破れ!話。グロ画像と本誌132話までのネタバレ注意。
獄門彊に閉じ込められる五条悟
まず、獄門彊こと源信(942‐1017年)は八つの地獄を、地獄そのものを『往生要集(985年)』で日本に伝えた僧侶だ。そして『呪術廻戦』は八つの地獄につながる鏡が出てくる。それが、真人だ。
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花御の語る真人
「人」にとって「死」は鏡。真人はその鏡そのものです。(116話)
漏瑚の死の間際、心象風景か、魂の残滓か。花御は真人の事を「死」と「鏡そのもの」と言った。
河鍋暁斎の浄玻璃の鏡
人と死と鏡と言えば、地獄の裁判官、閻魔が持つ「浄玻璃の鏡」。これは「浄らかな」「玻璃(神話的水晶)」の鏡だ。中華では業鏡(业镜)、カルマの鏡と呼ぶ。この鏡は人の魂と生前の功罪を映し、この鏡の前では嘘や隠し事ができない。閻魔はこの鏡で死者が極楽へ行くか八つの地獄へ行くかを決める。
魂が見える真人
もし浄玻璃の鏡が呪霊として自我を持ったなら、人の魂を見て、地獄の刑罰を地上で行う呪霊━━「正しい死を導く者」になるだろう。これが真人の本質だ。
魂>肉体を語る真人
ありがちな悪役なら「魂なんて幻想だ。魂は脳内物質の化学的な反応にすぎない」と言うかもしれない。ところが真人は「いつだって魂は肉体の先にある」と語り、魂を見て、魂に触れ、人の形を変える。
パンダはゴリラ
この漫画は悠仁や東堂や伏黒パパが肉弾戦のゴリラで、ナナミンも五条悟もゴリラで、パンダ🐼もゴリラなので、ついつい肉体だけで考えそうになる。
感謝の呪霊
けれど呪霊の頭は人の魂を見る感謝の呪霊だ。真人がナナミンに対して感謝を二度伝え、メカ丸に感謝を求め、ナナミンの最後に感謝の態度を示していたのも、真人が人の魂を見る感謝の呪霊だからだ。呪霊は肉体がない。感謝の呪霊は「悪い」「肉体」「化学」で割り切れない。
強制マナーモード
真人が地上で活動し始めた第一声は「マナーを守ろうね」だった。
順平に呪術レッスン
真人は一般人を短期間で並の呪術師にできる。真人さえ人間の味方か協力者だったら、呪術界は好転しただろう。真人の無為転変は邪悪な術式じゃない。
メカ丸も癒せる
真人の無為転変はメカ丸こと与幸吉の先天的な部位欠損、無感覚、皮膚の弱さすら瞬時に癒せる。真人が人間の味方だったら、どんな難病も肉体欠損も治せた。真人の無為転変は邪悪な術式じゃない。
何の呪霊か
真人は「人が人を憎み恐れた腹から産まれた呪い」で、大地や森や海の呪霊とは違う。正確には、「人の正しい心が人の悪を憎み、人の正しい心が人の悪を恐れ腹から産まれた呪い」かもしれない。
真実
ただ残酷に見える真人だが、正しい裁きから地獄の亡者を殺す(地獄では死んでも生き返る)善なる地獄の鬼も、ただ残酷に見える。真人は無為転変で変えた人間全ての魂を見ている。真人は悠仁に「オマエは俺だ」と言った。真人は悠仁の魂を見ながらそう言ってるので、呪霊の戯言ではない。真人は「死の鏡」━━虎杖悠仁がなりたい「正しい死を与える者」そのものだ。
正しい死
よく聞くと悠仁は「正しく“死”んでほしい」「正しい“死”って何?」と恐ろしい事を言っている。“正しさ”、“生きる”、“人を助けろ(爺ちゃんの遺言)”でなく《死》が焦点なところが恐ろしい。ナナミンは悠仁に「全て正しく導くというのはきっと苦しい。私はおすすめしません」と返した。それでも悠仁が正しい死を求めるなら、必要なものがある。
唯一なる者
「正しい」の判定のため、魂を見る力。「正しい死」に導くため、魂に触れて変える力。
命とは
「正しい死」を導き続けるため命に価値や重さを見出さないこと。
人間に正しい死を
森や海や空の声を聞き、「人間のいない“時間”」を欲し、全ての人間を正しい死に導こうとする仲間。
花御は精霊
天元の結界を抜けられる「限りなく精霊に近い」正しき仲間。
不死の天元
天元の進化。不死の術式持つ天元はあまり老化すると、人でなくなり、「より高次の存在」に成る。進化天元は“意志”を失う。「最悪の場合、天元様が人類の敵となる可能性もある」。進化天元はおそらく花御のように「人間のいない“時間”」を欲し、人間を正しい死に導くだろう。
正しい死
夏油傑を慕っていた灰原雄は産土神(土地神)━━1級案件の判定間違い━━により、正しい死に導かれた。この任務は五条悟が引き継ぎ、悟は土地神を祓った(殺した)に違いない。土地神を「1級案件」にする事にナナミンや夏油傑や五条悟は疑問を持っていない。「土地神が敵」はだいぶ前から、下手をすれば天元の進化をリセットした500年以上前から続いてる。こんな状態の呪術界は「天元様は進化しても人類の味方」と楽観できない。
夏油傑の正しさ
大義。かつては弱者と非術師を守ろうとしていた夏油傑。しかし、夏油傑は呪霊の原因を知り、仲間が非術師のために死んでいくのに耐えきれなくなった。夏油傑は、非術師に正しい死を与え、呪術師を生かす新世界を望むようになった。全てに正しい死を望めば、虎杖悠仁は夏油傑や真人に近づいていく。
ナナミンの真意
善人が安らかに悪人が罰を受け死ぬことが正しいとしても、世の中の多くの人は善人でも悪人でもない。(31話)
このコマのナナミンは悠仁の「正しい死って何?」への返答。これは一般社会の大人からのグレーゾーン語りに見える。が、ナナミンは呪術師で、身近な灰原雄と夏油傑を失っている。灰原雄は「土地神の正しさに殺された」。夏油傑は「正しさを求めて五条悟に殺された」。ナナミンの過去や気持ちを抜きにした一般論でこのコマを捉えると何も分からなくなる。ナナミンの真意を理解すると重い。
俺はオマエで、オマエが俺で。
悠仁は真人との戦いの果てに、自分を映す真人を「俺はオマエだ」と認めた。正しい死を導きたかった悠仁は真人だ。
正しさはいらない
だが悠仁は真人を殺すのに「もう意味も理由もいらない」。悠仁はナナミンの“呪い”を引き継ぎ、正しさを放棄し、正しい死の鏡を割る事にした。
歯車
たとえ浄玻璃の鏡が「正しい死」を映そうと歯車として割ろう。
罪とゆるしを知らないなら
日本に生きる悠仁はちゃんとした愛も罪もゆるしも英雄も知らない━━。それでも。悠仁は誰から何を託されたのか。
託されたもの
悠仁はナナミンの分までちゃんと苦しむと決めた。
灰原雄が死んだ。夏油傑が死んだ。ナナミンが死んだ。
宿儺が大量殺戮をした。それでもナナミンから託されたものがある。
ナナミンの“呪い”を胸に苦しく生きよう。
地獄を砕け
人間を地獄へ落とす鏡が現れるなら、何度でもそれを割って生きよう。
ナナミンの“呪い”
『呪術廻戦』はスッキリできない。真人の「人間から産まれた人間の呪い」「自然界の呪いじゃない」「大地と森と海の味方」「魂を見る死の鏡」「感謝を繰り返し口にする」「メカ丸を癒せる」「一般人を呪術師にできる」「吉野順平を殺した」「ナナミンを殺した」をスッキリできる理屈や感情はない。そんなモヤモヤの中でも、ナナミンから託された“呪い”には肯定的な何かがある。
ナナミンが守ったもの
記事を読んだ人に「ありがとう。また来てね」の呪いを。呪いは廻り、人は生きていく。地獄の鏡を割る力は、きっと何でもない日常の中にある。
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