ヒストールのブログ

ルックバックに銃の悪魔の正体が

【藤本タツキ執筆】タツキの自然と非自然 〜自動販売機もマキマも同じ木〜

 

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帝高陽之苗裔兮考曰伯庸━━『楚辞』離騒

 

 かつて民も朕、詔、璽を使っていた。
 
 
 ハロー、ガイズ。
 わたしは聖書と神話と藤本タツキ好きのヒストール。
 これは藤本タツキのエッセイ「故郷から学んだこと」についてべる記事。

 

akitacc.jp

 

 

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マキマも自動販売機も杭も綱も植木も草も同じ

 

 藤本タツキの故郷は秋田県にかほ市だ。だから漫画『チェンソーマン』銃の悪魔が殺戮する舞台は秋田県にかほ市タツキ、やべーよ。ま、それは置いといて。幼少期タツキにとって自然しぜんと非自然しぜんの境目は曖昧で、カブトムシやクワガタがくっついてる「夜の自動販売機は木々と同じ(タツキ文引用)」だったしい。タツキは正しく、実はタツキ故郷の木々は植林だった。木々も自動販売機も人工的なもの。タツキは芦奈野ひとしの『ヨコハマ買い出し紀行』の「草木と長い時間をかけて同化していった地蔵?のようなものタツキ文引用)」「自然と非自然の境目が薄くなってタツキ文引用)」を描きたかったらしい。『チェンソーマン』10巻でマキマと夜の自動販売機と杭と綱と植木と草が並ぶコマがある。タツキによれば、マキマは“キ”を切られてママになる存在だから、ここは木々のコマだ。マキマと自動販売機と杭と綱と植木と草の境界線が映画的にハッキリしたまま曖昧に。光と闇もハッキリ曖昧に。いつも制服なマキマが私服に、マキマの怖さと優しさも曖昧に。藤本タツキは藤本タツふじほん📖も樹🌴もカタカナも漢字も曖昧にな?タツキは世界一のマンガ映画監督で『チェンソーマン』は世界一の漫画だろ?

 

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読切『佐々木くんが銃弾止めた』のアテナ役
 
 都会育ちの子はカブトムシやクワガタを知らないのかもしれない。わたしの育ったところはカブトムシやクワガタもいた。開発で森も家も消えてしまったが。確かに、幼い頃の認識は後に響く。5〜7歳のわたしは「自然しぜん」「公園」「天皇」「庶民」「水戸黄門」「恥」「努力」「神社」「お寺」「太陽神」「月神」「星神」「ペルセウス」「アテナ」「ゼウス」を人工的なニセモノや悪と見ていた。実際、わたしは正しく、〈自然しぜん〉〈公共〉は英語から誤訳された造語で、そんな日本語はなかった。わたしの地元(というか全国)の神社は廃仏毀釈仏道要素が剥ぎ取られたニセモノだった。わたしは逆にメドゥーサを元女神で女王(語源的に正しい)で、元は人間と見てた。わたしの幼少期の考え「神々は人間が崇めた人間で神じゃない」「人に天皇や民なんて階級はない、どちらもただの人」はわたしの記事に反映されてる。だからわたしは「朕や詔」という民も使っていた字を使う。

 

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サタン

 

 『チェンソーマン』に出てくるミルトンの『失楽園』絵。元の話では、サタンの頭から神々しい【罪】の悪魔、サタンの娘が飛び出す。彼女はゼウスの頭から出てきたアテナがモデル。わたしはマキマというキャラクターに「メドゥーサを魔物として討たせたアテナの罪」の要素があると思っている(96話)。わたしにとってはメドゥーサもアテナも聖書も黙示録もイスラムギリシャ愛智も「幼少期の感覚」。わたしの知識を褒める人は、それを大人の知識や教養と見てるかも。わたしの知識は「幼少期の延長」だ。人は幼少期の認識に縛られて生きてるのかもしれない。━━もし神が望むならインシャーアッラー人は変わる。

 

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木々/自動販売機にへばりつくパワークワガタ

 

意識をしなければ幼少期にふれあい馴染んだものが自然しぜん、それより後の物は全て不自然しぜん、非自然しぜんと認識していくのだと思います。
大人になってあまり新しいジャンルの音楽にハマれないのもそれが不自然しぜんだからだと思います。
曖昧な境界を持っていてもいいということを僕は秋田県にかほ市から学びました。
そうすれば常に新しい事を面白がれると思います。━━『故郷から学んだこと』藤本タツキ