「メノラー」を重んじるならマリアの子イエスはメシア
シャローム。

メノラーと呼ばれるユダヤの特徴的な燭台、
その台座はヘブライ語「ガビア(גְּבִיעַ)」という言葉が使われている。
これは《杯》を意味し、ヤコブ(イスラエル)の子ヨセフがブラザーの
ベニヤミンをエジプトに引き止める際に用いた「銀の《杯》」だ。
《杯》を燭台のパーツとして見てしまうと《杯》とわからなくなる。
エレミヤ書35章で預言者エレミヤは子のヤアザヌヤとそのブラザーズと
彼の全ての子供たちとレカブ人の全家を連れて神の男ハマンの子らの部屋に
連れていき「ぶどう酒を満たした《杯》」を差し出し飲めと言うが、
レカブ人は先祖レカブの子ヨナタブが「あなたもあなたの子供たちも
永遠に(酒を)飲んではならない」とコマンドしたゆえに飲まないと言う。
レカブ人は【主】の法に従ってるつもりだが【主】に逆らっている。
ここの「レカブ人(רֵכָה)」はヘブライ語動詞「ラカク(רָכַךְ)」、
「柔らかくなる, 柔弱になる」と同じ語根でできている。
イザヤ書7章で預言者イザヤがユダの王アハズに「ラカク(柔弱になる)するな」と
言い、アハズに「【主】からしるし(奇跡)を尋ね求めよ。」と言うが、
アハズは「私は尋ね求めない。【主】を試みない。」と言う。
アハズもまた【主】に従うつもりで【主】に逆らっている。
この直後にインマヌエルの処女懐妊、クリスチャンがマリアとインマヌエルと
同一視する箇所、イエスのメシアたる根拠が出てくる。
もしもメノラーの《杯》を忘れずにいたならば、
一見【主】に反するような「ぶどう酒を飲む」ことに逆らわなかったろうし、
ヘブライ語「レカブ人」「ラカク(柔弱になる)」を忘れずにいたならば、
預言者イザヤの言う通り【主】にしるしを尋ね求めただろう。
「レカブ人」「ラカク」を忘れて預言者イザヤの敵となっている。
メノラーや預言者イザヤを重んじるならマリアはインマヌエルであり、
マリアの子イエスはメシアだ。
私は「ガビア」「レカブ人」「ラカク」の箇所全てを調べてそう思う。
賢きイスラエル人には言うまでもなく「ガビア」はアークに次いで語られる
重要な箇所であり、預言者エレミヤの「ガビア」を拒んだ「レカブ人」
同じ語根「ラカク」に対して常に警戒しなければならない。
「ラカク」を誤用するヨブであってはならない。
賢きイスラエル人は
預言者エレミヤに従い「ぶどう酒を満たした《杯》」を飲み、
預言者イザヤに従い「ラカク」せずに【主】に尋ね求め、
マリアをインマヌエルと認め、マリアの子イエスをメシアと認めるべきだ。
ではもう一度、シャローム。