天狗
「我は天狗である。月をも食うし、太陽をも食う」
━━『天狗』郭沫若(1892-1978)
ウサギと狼(犬)
皆既月食に合わせて。太陽を喰らう者で月を喰らう者な天の狗は中国の文学作品によく出てくる。と言うより、天狗が太陽を喰らう者なのは現代中国の一般常識となっている。北欧神話でも月の犬が太陽を食べる。その起源は3500年前のインド神話にある。ラーフは「四つ腕」「虎と杖の阿修羅王」で、ヤマ(閻魔大王)の「四つ目」の狗と共に語られる。『呪術廻戦』で虎杖悠仁に取り憑いた四つ目で四つ腕の宿儺、閻魔大王の印を用いる呪いの王は、だいたい原典のままだ。
羅睺星(阿修羅王)
九年春二月丙辰朔戊寅、大星、從東流西、便有音似雷。時人曰流星之音、亦曰地雷。於是、僧旻僧曰「非流星。是天狗也。其吠聲似雷耳。」三月乙酉朔丙戌、日蝕之。
━━『日本書紀』舒明天皇
舒明天皇の時代、大きな星が東から西へ流れ、雷のような音がした。正体不明のこれを【これは天狗で流星ではない。その吠える声が雷に似ている】と僧旻が解説した。僧旻の言う通り、これは太陽を喰らう者な天狗で日食が起きた。しかし、太陽を国名とする日本人に難しかったのか、この天の狗のイメージは定着しなかった。日本では元のラーフ、羅睺星(らごしょう、らごせい)の絵はほとんど描かれなかった。
カラス・ガマ・ウサギ
中国で流星的な天狗は━━太陽に関して赤カラス、月に関してガマ🐸とウサギ🐰━━のイメージで広まった。『呪術廻戦』の渋谷事変で、漏瑚が流星を渋谷に落とし、冥冥がカラスに神風(自死を強制)させ、伏黒恵がガマ🐸やウサギ🐰の式神を用いるのは、中華の天狗を踏まえてのこと。だから猪野琢真も、日本ではなく中華の四神術式を扱う。
阿修羅王なラーフ
月がカエルと結びつく話は、わたしが呪術廻戦の記事冒頭に繰り返していた九つの太陽を射落とす羿の妻の話だ。嫦娥の名をどこかで聞いたことはないだろうか。わたしは『チェンソーマン』のデンジを北欧神話の最強フェンリル「太陽を喰らう月の犬」に結びつけ、ヒロアカの「太陽すら喰らう者」や「魔王」について書き、シャーマンキングの阿修羅王(東大寺の大仏)について書き、阿修羅王の隣の明星天子も繰り返し書き、これ以上にないほど阿修羅王な天狗の前フリを書いていた。だが天狗コメントはない。
太陽を取り戻す
『ダイの大冒険』で大魔王バーンが「神々が魔族や竜から太陽を奪った愚行」に怒り、正当な復讐者を集める。これは魔王と呼ばれた豊葦原中つ国のオオナムチノ神の話だ。三種の神器の剣と勾玉は中つ国から奪ったもの。残りの鏡さえ、天岩戸は日本が侵略した中つ国の太陽神を鏡に映して太陽を奪う話。天岩戸に日本という国名は出ない。わたしは、北欧神話の中つ国、トールキンの中つ国、ファイナルファンタジーⅦの中つ国、逃げ若の中つ国(出雲側の諏訪)、呪術廻戦の中つ国(布瑠部由良由良)、FGOの中つ国(布瑠部由良由良)とこれ以上にないほど中つ国を繰り返し書いている。だが中つ国コメントはほぼない。
天狗と諏訪大社
中つ国の出雲は本当の中心なので、10月は神在月。東国の日本は成り上がりの偽物なので、10月は神無月。『逃げ上手の若君』の北条、足利尊氏、出雲側な諏訪に関わる中つ国と太陽観。北条泰時は初の武家法「御成敗式目」を制定した。その法は太陽神アマテラスを除外し、中つ国の三嶋大明神に誓う法だった。それで京都の人は「アマテラスはこの国を中つ国のオオナムチノ神から乗っ取った虚言神だから」と解釈した。初の武家法は江戸末期まで有効で、足利尊氏も戦国大名も徳川家も否定しなかった。この国は600年以上、偽太陽とその子孫らしき天皇を除外していた。
月の犬デンジ
北欧神話は太陽神がいない。オーディンが巨人ユミルを倒した後、四ドワーフがユミルの頭蓋骨を支え太陽を造った。太陽より美しい光エルフが太陽より輝かしいギムレーにいる。フェンリルはいつも太陽や月を追いかけ恐れさせる。最強のフェンリル月の犬は太陽を喰らう。これはインドの天狗が起源だ。エルフとドワーフのファンタジーそのものが太陽を神としない。『進撃の巨人』、『マイティ・ソー』、エルフとドワーフの異世界が大量生産される時代。太陽を喰らう者な天狗は中国の一般常識。どれだけ鈍ければ、太陽を喰らう者な天狗に気づけずにいられるのだろうか。
自由🗽とSUNNYを隠す🍝
西洋のサンは差別の源ではない。サンは天皇・大臣・国民の和のカーストを造らない。サンは、平等なブラザーを兄弟に差別しないし、平等なシスターを姉妹に差別しないし、平等なステューデントを先輩後輩に差別しない。リバティ🗽はアメリカ🇺🇸や フランス🇫🇷のように帝王を終わらせる。けれど、日本の太陽は姉で天皇の源。鬼滅やワンピは、太陽を不平等の源に使う。だから兄弟姉妹だの、先輩後輩だの、王だの差別する。ヒノカミ神楽だの、日輪刀だの、日の呼吸だの時代錯誤すぎる。サニー号だの、タイヨウの海賊団だの、太陽の戦士ニカだの、自由と銃を振りかざす猿悪魔は老害だ。
満月🌕とナユタ
藤本タツキの『チェンソーマン』は太陽が描かれず、早川タイヨウは死に、ゴムゴムの銃の悪魔は敵。タツキは読切でも太陽を描いていない。ニワトリ、青春、月の女神アルテミスと月面着陸、窓際で日光浴する吸血鬼、満月とナユタ、【明星】を二度引用するルックバック。そして『ファイアパンチ』は氷河期で太陽が死ぬ。タツキ短編集の表紙は月🌕と地球🌏。どれだけ鈍ければタツキの作品スタイルに気づけずにいられるのだろうか。
日グルマ裁判
聖書やコーランにおいて、太陽や月や星の崇拝は罪。マイティ・ソーとエルフとドワーフの神話やファンタジーは太陽が神ではなく、人間世界は中つ国。中国も別に太陽を拝まない。武家法は、まず梵天と帝釈と四天王に誓い、太陽神を虚言神として除外。日蓮も梵天と帝釈と四天王に比べれば太陽神は小神と書いた。太陽と月を喰らう天狗、阿修羅は天使のオリジン。阿修羅に敵対した偽天神こそ悪魔のオリジン。天使悪魔の逆転システムが六道輪廻。インドや仏典ですら阿修羅をまず正義の神と認めてから、阿修羅を悪かのように呪術でねじ曲げた。しかし、ユダヤ、キリスト、イスラム側は阿修羅を天使と認めている。東西別々に文化が発生したのではない。初めに同じ正義、阿修羅から出発して、それを歪めたのがインドや仏典だったのだ。イスラムはインドを征服し、13世紀までに邪教(仏教)を絶滅させた。とても良かった。しかし、阿修羅王を悪神に貶め、天狗すらわからない悪魔の無法国は、今日もまともに裁判ができない。