ハロー、ガイズ。
わたしは聖書と神話と『失楽園』好きのヒストール、よろしく。
これは『SHAMAN KING THE SUPER STAR』35話「ひかり」の単発記事。エマーソンのオーバソウルの前フリ記事。かつて週刊少年ジャンプにおいて、『シャーマンキング』は『ONE PIECE』『NARUTO』と同世代の看板漫画だった。その続々編の展開、『シャーマンキング』好きな漫画家はどう受け止めただろう?今日からマガポケで見れるので記事を書いてみる。
千手菩薩
『仏ゾーン』のセンジュは千手観音菩薩だった。
かつての主人公と相棒
『シャーマンキング』の強豪サティは、『仏ゾーン』の主人公、西岸サチの成長した姿。サティの持霊であるダイニチはセンジュの成長した姿だった。そして…。
大日はルシフェル
『シャーマンキング』のサティは強豪キャラで善でも悪でもない「中立」だった。しかし、その持霊ダイニチはルシフェルと同一神。いや、それ悪魔じゃん。中立じゃない。
ルシファーな大日如来
ローマ神話では「Lucifer(ルーキフェル)」と発音する明けの明星。今日「ルシファー」と呼ばれるもの。サンスクリット語の「ヴァイローチャナ」が「毘盧遮那仏」として日本に伝わり、こう呼ばれた。
大日如来
大日如来
おもしれえだろ?
あの大仏はルシフェルなんだ
みんなそれを知らずに拝んでんのさ
まあ偶像崇拝の時点で聖書と相容れない。この解釈はわたしの見解とは違うけれど、『仏ゾーン』の主人公と相棒、『シャーマンキング』の強豪を使ってこう話を進めているのは、『チェンソーマン』『呪術廻戦』と同じ時代精神だ。仏や京都は中立ではなく、明けの明星、金星悪魔ルシフェルの側だと。なお、ルシファー、ルシフェルは単なる日本的な表記違いで意味はない。
京都は大日如来がいっぱい
サティは何も知らなかったらしい。サティは気づいたらルシフェル側だったので、シャーマンキングをなることを諦めて麻倉葉らにのぞみを託したと。「京都の仏像がルシファーだらけ」って旅行のCMには使えないな!
救えない
ルシファーの化身センジュが地上を旅して出した答えは…
人は救えないかな
だった。これが本心なのかわからないけれど、この回だけ見れば絶望的だ。
たびたび出てくる
どうしても『デビルマン』以来、名作はサタンやルシファーについて漫画で描かざるを得ない。
思いきりサタン
『チェンソーマン』は『失楽園』サタンの絵を2ページ使って描いた。
阿修羅と提婆
日本人がルシファー崇拝をしてきた証拠。日本で仏教と言うと、六道輪廻がつく。すなわち、天部>人間>修羅>畜生>餓鬼>地獄だ。六道は天使と悪魔をさかさまにした秩序。六道では大日如来、アスラ王は人間より下の修羅、阿修羅に当たる。大日如来は、天部(デーヴァ)ではない。西洋や中東は六道輪廻文化がなく、ゾロアスターの善神アフラと悪神ダエーワを選んだ。つまり、アフラを天使とし、デーヴァを悪魔とした。
大日如来
なあなあ、まあまあに日本が西洋の仲間入りすることはできない。日本の六道輪廻は悪魔崇拝で天使侮辱だからだ。大日如来を一番でっかくして中心に据えたのは、日本仏教の間では特殊なポジションで、世界的に見れば「天使と悪魔」に半分つながっている。ただ偶像崇拝は殺人より重い罪なので、仏像の時点で大罪。中立幻想。日本は悪魔に傾いている。日本人はデーヴァを天神とするけども、ブッダに逆らった提婆達多の「提婆」がデーヴァ。そしてデーモン。
十三と明星
『シャーマンキング』の側で太陽な大日如来、その化身たる千手観音菩薩もルシファーとした。『チェンソーマン』は太陽を描かず、金曜日に活動する銃の悪魔を、明星の悪魔として描いている。『ルックバック』で『チェンソーマン』から「明星」が二度引用される。
虚空蔵菩薩が頂点
銃の悪魔は13話の13年前、十三仏で十三番目な明星天子、空海の虚空蔵菩薩として描かれている節がある。空海は明けの明星なるテンシによって悟り、明星を虚空蔵と呼び、シャカより偉い菩薩の頂点とした。虚空蔵は人間に智慧を与え、「神々に生まれ変われる」と嘘つく何か。ところで、十三なる楽園の蛇は、智慧があり、アダムとイヴに「神々に生まれ変われる」と嘘をついたサタンだった。空海はサタン崇拝者だった。天皇家の菩提寺は真言宗の泉涌寺。つまりサタン寺だ。
明星天子来下の庭
最澄も十三なる明星天子の庭で草庵を結んだ。最澄は明星天子の庭にいた仙人(?)から明星尾の霊木の在り処を教えられ、その怪しげな木から薬師如来を自ら彫り、比叡山延暦寺の中心に据えた。これは仙人じゃなくて悪魔だ。偶像崇拝は悪魔がやらせるものだ。
明星天子が九月十三日に日蓮を助ける
日蓮は十三なる明星天子を熱心に拝み、九月十三日に加担してもらいました。ああ、なんたる邪悪!もう日本そのものがサタン国と言える。
サタンの印
『呪術廻戦』は、真人の口内(上)に孔雀明王印、『失楽園(Paradise Lost)』サタンのモデルになった孔雀王の印を出した。孔雀明王は、クトゥルフ神話では正真正銘のサタンとある。アニメ版ではもっとわかりやすく、『LOST IN PARADISE』のヒントもある。
唐景教の十字聖架
日本は西洋や波斯と別個に成立していない。唐帝国が聖書と景教徒を公認したのは638年で、そのチャーチは745年に【大秦寺】と改称するまで、【波斯寺】と呼ばれていた。日本は建国前からシルクロードの「波斯」「秦」を通じ、聖書やアフラ=天使を知っていた。日本は知りながら天使を阿修羅と貶め、悪魔を天神と崇めてきた。正倉院や雅楽以上に、日本神話は波斯と聖書の裏があった。例外的なアフラ王すら大仏という偶像崇拝。民が明星天子を聞いたことがなくても地獄に落ちる。明星天子を頂点とし、悪魔を天神、天使を修羅とし、右と左を入れ替え、右なる正義を権利と偽り、偶像崇拝の中で生きる民は邪悪で不浄。今の日本人すら神や教会や正義や権利や法律を嫌う。日本人は悪魔の民だ。
キリストを前にするレギオーン
悪魔とは閉じこもるもの。日本人は「うちはうち、よそはよそ」と言う。しかし、「家(宀+豕、屋根の下の豚)」は文字通り豚小屋だ。聖書やコーランでは、豚は自分を失い、間違った分別をうのみにして群れる人間のたとえ。自分の考えを持たず、アンチ近代的な価値観をうのみにして群れる日本民は豚そのもの。イエスに祓われた悪魔「レギオーン(Λεγιὼν)」は【軍団】という群れで、二千匹の豚に送り込まれて自殺した。日本人も群れてイエスを拒み、豚小屋(家)に住んで自殺する。英語のウチ(in)はその人の内側のみを示し、家庭や集団の事情を含まない。英語のヨソ(ex)から存在、選挙、教育、表現/表情、経験/体験、実験、交換、説明、輸出などの造語が翻訳された。日本の「うちとよそ」すら豚悪魔の豚語だ。
太陽を喰らう者
フェンリルが アールヴレズル(太陽)を
とらえる前に 太陽は一人の娘を生む
神々の死せるとき 娘は母の軌道をめぐる
『ヴァフズルーズニルの歌』47 谷口幸男訳
日本に中立はない。オーバーソウルが時代精神を通じて真実をあらわにし始めた。家(豚小屋)、空海、最澄、日蓮、明星天子、虚空蔵菩薩、薬師如来、六道輪廻。日本は悪魔に大きく傾いている。大日如来、大日本、日の本、日が悪魔。世界では太陽を黄色に描く。悪魔の島では太陽を血の色、日没色で描く🇯🇵。偽りの太陽がフェンリルに食われ、葦船で捨てられた昼の子が帰還し、偽りの赤い「ひかり」は真なる「ひかり」に改められる。