習慣とは大魔王ルシファーの時間、そして、安息日とは聖なる(קָדֵשׁ)リラックスだ。

私たちは、絶えず思考や感情を働かせている。
人は自分が「平和」「自由」「現実」「安全」「平等」「家族」「ルール」「マナー」「社会性」「お金」「二次元」「良い」「不良」「恥」「努力」「空気を読む」「感情」「理性」「みんな」「具体性」「経験」「女子力」「男らしさ」「人間らしさ」「文化」「流行」「憲法」「法律」「神の教え」「科学」「正義」「民主主義」「社会主義」「先進国」「進化」「歴史」―――などの価値観に基づいて行動していると思っている。
しかし、現実には、人はそれらとは全く関係ないものに基づいて行動している。
それは「習慣だから」だ。「今までやってきたから」だ。
アメリカ人が正義を重んじるのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。正義のためではない。
日本人が恥を重んじるのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。文化を守るためではない。
テロリストがテロをするのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。教義のためではない。
アメリカ合衆国が戦争をするのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。対テロのためではない。
無宗教の人が神を信じないのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。科学を信じているからではない。
ムスリムが礼拝するのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。アッラーを信じているからではない。
お坊さんがお経を読むのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。仏様を信じているからではない。
神主さんが祝詞を読むのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。神々を信じているからではない。
いじめっ子がいじめをするのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。優越感を得られるからではない。
いじめらっ子がいじめられるのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。弱いからではない。
ブラック企業が残業代を払わないのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。お金のためではない。
社畜がサービス残業をするのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。安全のためではない。
社会人が仕事をするのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。家族や自活のためではない。
ひきこもりがひきこもるのはなぜだろうか?「習慣だから」だ。怠けたいからではない。
私たちは、自分たちが重んじる価値観のためではなく、ただ「習慣だから」やる。オリンピックの試合も、テロ実行も、普段の訓練、普段の習慣によって成立する。
そして、人は現実からどんどんズレていく。
いわゆる「七つの大罪(Seven Deadly Sins)」の「七つ」とは実数ではなく【全て】を意味する。習慣という大魔王の日、大魔王の時間、大魔王の秒から、六人の悪魔「暴食」「色欲」「強欲」「憤怒」「怠惰」「嫉妬」が生まれ、大魔王の分身「高慢」が生まれる。

さらに七十二の悪魔、魔王や公爵や侯爵たちが生まれる。

そしていくらでも新しい悪魔たちが生まれる。そして彼らは皆、「習慣」というゆがんだ高貴さの王、ルシファー陛下を「王の王」として崇拝している。

宗教という習慣をやめて、科学や憲法という【習慣】をやろう、王室や教会に縛られない芸術や音楽という【習慣】をやろう、日常という習慣から離れて映画や二次元という【習慣】をやろう、創造論という習慣をやめて、進化論という【習慣】をやろう、王室や皇室を廃止して共産主義や社会主義という【習慣】をやろう………。
こうした習慣の変化は、習慣の形が変わるだけだ。習慣は形を変えても習慣なのだ。そして習慣は、人生を、家庭を、国を、民族を、学校を、会社を、科学を、伝統を、学問を、映画を、音楽を、二次元を、秩序を、全てを下降させる。
安息日とは、いわばズレた飛行機の航路を戻すための休憩時間、リラックスのことだ。宗教か無宗教かを問わず、あらゆる習慣をやめてくつろぐことだ。感情も思考も悪魔もお休み💤
だから安息日は、ユダヤ教徒かキリスト教とか、日曜に休むとか、金曜に休むとか、そういうことではない。
安息日はあなたが変わるためではなく、あなたが現実に戻るためのリラックスタイムのことだ。
もしも飛行機が航路から1度ズレて進み続けたらどうなるだろうか。それは左右とは限らない。下に1度、2度、3度、4度、5度、6度…ズレていたら、あなたの飛行機、あなたの人生が墜落する。
✈→🔥→💀
→→
ヒューン、どかーん!あわれ、あなたはバラバラだ!おめでとう!あなたはめでたく黄泉(שְׁאוֹל)の住人になりました。大魔王ルシファー様がお待ちでございます、ささ、どうぞこちらへ。地獄のフルコースでございます……。

などと、地獄の執事に丁重におもてなしをされたくないのなら、あなたが自分の習慣に安息日というリラックスをやること。習慣を変えるのではなく、習慣を休ませること。そうすれば、大魔王陛下のお休みに従い、不安や恐怖や緊張や偏見や差別や先入観は、お休みしてしまう。
「習慣づけが大切」「継続は力なり」「規則正しい生活を」という堕天使の囁きは、まるで大天使の声ように美しく尊く響く。「現実問題、習慣なしに生きるのはむずかしい」という悪魔崇拝は悪魔崇拝にすら見えない。
しかし、安息日を実際にやってみれば、女の子の元には王子様が、男の子の元にはヒーローが、クリスチャンの元にはイエスが、ユダヤ教徒の元にはメシアが、仏教徒の元には弥勒菩薩が、イスラーム教徒の元にはマフディーが、ゾロアスター教徒の元にはサオシュヤントが、あなたにあなた自身の救世主がやって来る。
おひめさまは、すっかり腹が立ちました。そこでいきなりかえるをつかみ上げて、ありったけのちからで、したたか、壁(かべ)にたたきつけました。
「さあ、これでたんとらくにねむるがいい。ほんとにいやなかえるったらないよ。」
ところで、どうでしょう。かえるは、ゆかの上にころげたとたん、もうかえるではなくなって、世にもうつくしいやさしい目をした王子にかわっていました。―――『かえるの王さま』グリム兄弟
ルフィ「ねる」―――『ONE PIECE』第76話

六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。――旧約聖書『レビ記』23章3節
שֵׁשֶׁת יָמִים, תֵּעָשֶׂה מְלָאכָה, וּבַיּוֹם הַשְּׁבִיעִי שַׁבַּת שַׁבָּתוֹן מִקְרָא-קֹדֶשׁ, כָּל-מְלָאכָה לֹא תַעֲשׂוּ: שַׁבָּת הִוא לַיהוָה, בְּכֹל מוֹשְׁבֹתֵיכֶם.
人の子は安息日にも主だ。―――新約聖書『マルコによる福音書』2-28
(”Therefore the Son of Man is also Lord od the Sabbath.”)
かれ(堕天使イブリース)は言った。「主よ、では彼ら(人間ども)が呼び起こされるその日(復活)まで私を猶予してください」
かれ(アッラー)は言った。「あなたは猶予される。
定められたその日まで。」――『クルアーン』15章36〜38節
قَالَ رَبِّ فَأَنظِرْنِي إِلَى يَوْمِ يُبْعَثُونَ
قَالَ فَإِنَّكَ مِنَ الْمُنظَرِينَ
إِلَى يَومِ الْوَقْتِ الْمَعْلُومِ
まもなく菩薩(ゴータマ)はそれまで行っていた苛酷な断食をすっぱりやめ、米麦と炒麦の粥を少し食べ、十分な力をつけた。―――大正蔵第二二巻「四分律」781ページ
義なる者たちのフラワシにして最強なるものは、スピターマよ、
それは最初の教師たちのもの、あるいはそれは、未だ生まれざる人々のもの、更新者サオシュヤントたちのものなり。―――『アヴェスター』フラワルディーン・ヤシュト第1節17