ヒストールのブログ

“我らが泣く時、我らは御方の創り給うた雨雲である。我らが笑う時、我らは御方の創り給うた稲妻である。”

【ギリシャ語】全聖書で主語ごと誤訳の「カゴー(κἀγώ)」と真の銀貨三十枚

f:id:tenfingers:20200815204952j:plain

銀貨三十枚(thirty pieces of silver)

 

「カゴー(κἀγώ)」は全ての聖書ヴィヴリア訳で主語ごと丶丶丶丶誤訳されている。

英語訳では「(I…)also」「and(I)」などと主語ごと丶丶丶丶誤訳されている。

日本語訳では「(私)も」と主語ごと丶丶丶丶誤訳されている。

「カゴー(κἀγώ)」を主語ごと丶丶丶丶誤訳したため、イスカリオテのユダの「銀貨三十枚で」のくだりが全く別の文になった。

 

 なぜ「全ての聖書ヴィヴリア訳」「主語ごと丶丶丶丶」と言い切れるかはとても簡単だ。ギリシャ文字ヘブライ文字と同じようにそれぞれ形あるものに基づき固有の意を持つ。「カゴー(κἀγώ)」の場合、「カッパ(Κ, κ)」「アルファ(Α, α)」「ガンマ(Γ, γ)」「オメガ(Ω, ω)」の形と意がわからなければ訳しようがない。これら四文字のいずれかが「」「上から下」「場所」「始まる」の意を持つ。「カゴー(κἀγώ)」は人に関わる語に限り、人以外の生き物や無生物に対して決して使われない丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶必ず上下の立場ある文で用いられる丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶。カゴーは英語の「also」「and 」や日本語の「〜もまた」「そして」とは全く異なる語。原文のカゴーは、「I(私)」の語や「I(私)が〜する」という語形変化を全く持たない。全ての訳は勝手に「I(私)」をつけ加えているが、カゴーは「(ある)人」であって一人称の「I(私)」ではない。カゴーの84例の主語が「I(私)」でなくなれば、文脈は全く変わる。もしも聖書を訳す側が、カゴーの84例が人以外の生き物や無生物に対して使われないと気づけないレベルなら、彼らの訳は信頼に値しない。残念ながら古今東西全ての聖書訳がそうだ。全ての聖書訳は、文字どころか文脈のすり合わせすらしていない。

 

「カゴー(κἀγώ)」形の76例(英語+コイネーギリシャ語)

biblehub.com

 

 主語ごと誤訳丶丶丶丶丶丶を示すため、カゴーのあるマタイ18:33の例を挙げよう。英語訳はNKJV、日本語訳は新改訳を引用する。

 

οὐκ ἔδει καὶ σὲ ἐλεῆσαι τὸν σύνδουλόν σου, ὡς κἀγὼ σὲ ἠλέησα;’

 

Should you not also have had compassion on your fellow servant, just as I had pity on you?’

 

私(王)がおまえをあわれんでやったように、おまえ(僕)も仲間をあわれんでやるべきではないか。

 

これは文脈でわかる明らかな誤訳だ。これは、ペトロがイエスに対し「私のブラザーが私に対して丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。━━マタイ18:21」の答えとして、イエスがたとえ話で示したもの。自分と対等のブラザー(※西洋や中東に兄弟の上下はない)に対しての質問の答えが、「王が僕(しもべ)に対して丶丶丶 丶丶丶 丶丶丶丶」になるわけがない。直前の18:31で「しもべたちは(同僚の苦境に)心を痛めて」とある。ここでのテーマはブラザーズ間の赦しだ。先に言ったように、「カゴー(κἀγώ)」は「上から下」の字を含む。ここでの主語は、王(上)の赦しを真似まねられる人(しもべたち, 下)であり、王ではない。王ではなく、王の赦しを真似た人(しもべたち)に焦点を当てないと無茶ぶりになる。「出来の悪い子(しもべ)は良く出来た父(王)をじか真似まねろ」という話は子供にわかるだろうか?本当の聖書は幼児にわかる話だ。父の真似まねをする子供たちを真似まねろと言わないと、ペトロの質問の答えにならない。

 

 

 さて、イスカリオテのユダの文だ。マタイ26:15から。英語訳はNKJV、日本語訳は新改訳を引用する。

 

εἶπεν “Τί θέλετέ μοι δοῦναι, κἀγὼ ὑμῖν παραδώσω αὐτόν;” οἱ δὲ ἔστησαν αὐτῷ τριάκοντα ἀργύρια.

 

and said, “What are you willing to give me if I deliver Him to you?” And they counted out to him thirty pieces of silver.

 

こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。

 

 全単語が誤訳で、全文誤訳で、日本語訳は主語が抜けているので解説はごくわずかになる。「パラディドーミ(παραδίδωμι)」は日本語版で「売る」と誤訳され、英語版では「deliver(届ける)」と誤訳されたが、パラディドーミは売るでも届けるでもなく、主語はユダではない丶丶丶丶丶丶丶丶丶パラディドーミは「パラ(παρά)」と「ディドーミ(δίδωμι)」の合成語だが、全ての日本語訳や全ての英語訳はこのニ語も誤訳している。わたしは繰り返し言う。ギリシャ文字はそれぞれ形あるものに基づき固有の意を持つ。そして、全ての聖書訳は全てのギリシャ文字の形と意を無かったことにしている。だから、全ての聖書訳はカゴーもパラディドーミもパラもディドーミも誤訳している。「ディドーミ(δίδωμι)」は与える、giveと一部の文字だけ訳されている。ディドーミは、「今日の糧を“お与えください(ディドーミ)”」と祈りに使われる語だ。ディドーミやパラは、どちらも良い言葉ではなく悪い言葉でもない。頭のおかしい偽クリスチャンは、ギリシャ文字の一文字もわかろうとせず、この箇所の主語をユダと勘違いし、パラディドーミを「裏切り」のように改ざんし、パラやディドーミねじ曲げた。今まで全ての聖書訳は、ここの主語も動詞も改ざんした。偽クリスチャンに真の聖言を受け入れる余地は全くない。次、銀貨三十枚について。銀貨三十枚の箇所は、ある語が全為スベテナシ救いsalvation)を示している。1121回出てくる全為スベテナシの語が訳された聖書訳は一冊もない。1121回中1121回の全為スベテナシを無視する偽クリスチャンに全為スベテナシはない。この語が初めて使われる箇所は、東方三博士がメシア(全為者スベテナスモノ)の誕生を公言丶丶するところ。わたしは1121回中1121回の解き明かしを子供にわかる形でできるし、その解き明かしは善い心と良く回る頭を持つ専門家ほど楽しい。だが、今まで聞く耳ある世代が生まれたことはなく、今まで聞く耳ある国ができたこともない。その語は全為スベテナシ救いsalvation)だけを示す語ではない。わたしの他、誰もこの文を訳せない。2000年前から今日までこの文を受け取る者たちはいない。

 

「カゴー」は変化形「Κἀμὲ(カメ)」が3例, 「κἀμοὶ(カモイ)」が5例、スペルが変わった分、別の意を持つ。わたしギリシャ文字の意と形に基づき、カゴー、カメ、カモイの違いを小学生にもわかる形と例で話せる。しかし古今東西の偽クリスチャンはカゴーとカメとカモイ全てがわからない。偽者は同じ語が使われる文の共通点すら洗い出さない。ギリシャ文字の形と意は初歩であって、神秘主義ではない。だからもちろん、ギリシャ文字の形と意は、ホメロスやアポロドーロスやプラトンの著作にも共通している。だが、古今東西の偽学者や偽詩人は何も知らない。ギリシャ文字の形と意を無視し自国語でギリシャ語文書を読んだ気になる馬鹿はギリシャに関する学者や詩人と言えない。詩は字の形や意を外して語る音楽的な言葉遣いだが、元からギリシャ文字の形と意を知らない馬鹿がギリシャ英雄詩を学べるはずがない。聖書訳者もギリシャに関する学者や詩人もみな偽者だ。

 

 わたしの言葉の古今東西の偽権威を切り刻む。

 

 わたしが語るギリシャ文字ヘブライ文字の形と意は、広まれば最後、既成の聖書ヴィヴリア団体やギリシャヘブライに関する学問は全て崩壊する。キリスト、イスラムユダヤの団体は外からの攻撃ではなく、内から中心に向かってグシャッと潰れる。その後、より善い人々が老害に取って代わる。アメリカやフランスに続くレス・パブリカ120ヶ国を上回る大きな動きだ。

 

 クリスチャンの正典はコイネーギリシャ語であってラテン語ではない。

 ヘブライ語を長く喪失していたユダヤムスビ再結フタムスビ(宗教)的正当性は疑わしい。

 アラビア文字の形と意を喪失しているイスラームムスビ再結フタムスビ的正当性は疑わしい。

 キリスト・イスラームユダヤの伝統団体はギリシャ愛智フィロソフィアーに強い影響を受けたが、ギリシャ文字の形と意を知らない馬鹿しかいなかった。

 

   原語の原字から訳す以上、わたしの話は真面目で公平な専門家ほど防げない。当たり前だが、この話に参加できるのはギリシャ語やラテン語や英語がわかる人、例を検証する人だけだ。カゴーの76例の主語は「I(私)」ではない。カゴーある文の主語は、誰かを上にした下の人だ。そうしないと文が前後とつながらなくなる。

 

 全ての聖書訳は最低限の作業すらしていない。

「同じ語が出てくる箇所を比較し共通点を割り出す」

「同じ語の変化形は何が同じで何が違うか割り出す」

「ある語の別の品詞でズレがないか確認する」

これらの聖なる作業を徹底して繰り返せば、必ず一文字ごとの意に辿り着く。

 

 わたしはすでにギリシャ文字にそれぞれ固有の形と意がある記事をいくつか書いている。参考までに貼っておこう。

 

tenfingers.hatenablog.com

tenfingers.hatenablog.com

 

tenfingers.hatenablog.com

 

 

tenfingers.hatenablog.com