涙を流して泣く弁天
━━でもなんで、彼女は泣くか?
全人類が足許にひれ伏すほどの完璧の美女なのに
逞しいその脇腹をどんな神秘な苦痛が嚙むか?
━━生きて来たのが悲しくて、生きているのが悲しくて!
彼女が泣いているのだと、気づかないか呆気者!
膝がしら打合うほどにわななかせ、特に彼女が泣く故は、
明日もまた生きねばならないその故だ!
明日も、明後日も、いつまでも、生きねばならないその故だ!
僕らの誰もがすることさ!
━━『悪の華』ボードレール 堀口大學訳
泣くマキマ
ハロー、ガイズ。
我は聖書と神話と北欧神話好きのヒストール。
これは『チェンソーマン』のデンジが死ぬ人間すべての肉で腹をみたす月の犬マーナガルムで、マキマに太陽の役割がある考察。最終話までの本誌ネタバレ注意。
満月を見て「悲しい、悲しい」と呟く弁天
藤本タツキによれば『チェンソーマン』のマキマのモデルは『有頂天家族』の弁天だ。弁天(七福神の弁才天)は、彼女が属する「金曜倶楽部」の役割名で彼女の名前じゃない。彼女は天狗にさらわれ、天狗から神通力を習い、天狗よりも強くなった。天狗よりも強くなりながら「私は人間だもの」と言う鈴木聡美、完璧そうな人生の裏でいつもはらはら泣いている弁天。彼女がマキマなら…、マキマもかつては人の名を持ち、マキマになってからいつも泣いていた。『有頂天家族』は『チェンソーマン』と逆に、弁天は月を欲しがり、主人公の父親(人に化けられるタヌキ)を食べてしまって「悲しい、悲しい」と呟く。
食うということは愛するということだよ
また『有頂天家族』は「食うということは愛するということだよ」という淀川長太郎(金曜倶楽部の布袋)が登場する。布袋も弁天も、矢三郎の父親・総一郎を食べた仇なのだが、矢三郎は二人を憎めない。むしろ矢三郎は二人のことが好きだ。
愛ですよ愛
『有頂天家族』のこういうとこを糧に『チェンソーマン』の「俺はマキマさんを食べて一つになった…」「愛ですよ、愛」につながった。
“創った(created)”
日本人が「愛、愛情、恋愛」と言うようになったのは、明治以降の事で、クリスチャンの影響だ。クリエイトとラヴはほぼ同じ。《週》、曜日、休日、福沢諭吉・新旧憲法の権利や平等もクリスチャンのラヴなるゴッド(原語はゴッズ)のクリエイトに基づく。明治は西暦や週や曜日だけでなく、時間、時計、時事、時候、時効、世紀などの翻訳語も造られた。日本の神仏は天地やアダムや週や権利や平等を“クリエイト”しない。聖書の初め、クリエイトの『創世記』1章は、神々(単数扱い)のみで、神や主や主は一度も出てこない。“創造主”は誤訳だ。神々(単数扱い)の“朕ら”が自分たちに似せて、アダム(無性・両性)や男性や女性をクリエイトした。「ワシらが一生懸命創ったんじゃ!」「残さず食えよ!」。
知らねえ紫色
謎の紫色のヤツ。タツキによればデンジは天使を濁らせた名、パワーは天使位階に基づく名、アキはマキマへの好意がからっぽな「空き」。神々の代行者(?)デンジとパワーの愛の“創った”で虚ろなアキが満たされる。“クリエイト”は天国や地獄や権利や自由や平等や最初のアダムのように物質や肉体でないものを愛からつくる語だ。塵のアダムを形造るのは“フォーム”。クリエイトとフォームの中間が“メイク”。英語圏の人々はクリエイトをメイクとして使いがち。
チェンソーマンの秘密
とにかくクリエイトは愛にごく近しい語で━━存在と名前と天使と武器職人と武器の破壊者に聖書原文で関わり悪を消す語だ。
《島》《恥》《死》《戦争》《飢餓》をもたらしたイザナミ
日本神話の初めイザナギとイザナミは第一子の昼子をヒル子として捨て、日本となる島々を産んだ。イザナミはヒノカミのカグツチを産み、火で死んだ。イザナギはわが子ヒノカミを十握剣で殺した。イザナギは黄泉(冥界)まで降りていった。イザナギはイザナミから「我を視ないで」と言われたが見てしまった。死者イザナミはウミ沸きウジたかる体をイザナギに見られ吾に《恥》を見せたと怒り、《飢餓》のヨモツシコメや《戦争》ヨモツイクサを遣わしてイザナギを追わせ、人民を一日千人縊り殺す《死》で呪った。またイザナギも《恥》じた。日本神話では恥も飢餓も戦争も死も穢い黄泉の呪い。
黙示録の解釈
少なくとも日本神話と『ヨハネの黙示録』の2つが「4人の騎士」に重ねられる。『チェンソーマン』の舞台は日本で、京都の狐がいて、日本最古とされる大神神社が出て、闇の悪魔は日本的な刀と鈴を使い、刀の武器人間が現れる。『チェンソーマン』は日本的な要素がある。しかし、日本神話は愛の神がなく、仏道は愛を愛欲として退け、クリエイトがない。仏典は膨大だが、慈愛や愛情という肯定的な愛の熟語は数えられるほど少ない。「愛の物語」という芯は日本に欠けていた。イザナギとイザナミの離婚、恥と死と戦争と飢餓の呪いの後、イザナギの禊から生じたアマテラスやツクヨミやスサノオ。アマテラスやツクヨミは結婚せず、天上の愛アガペーと半天半地の愛エロスを知らない。
弁天「だって私は人間だもの」
天照大神、怒りますこと甚だしくて曰はく、「汝は是悪しき神なり。相見じ」とのたまひて、乃ち月夜見尊と、一日一夜、隔て離れて住みたまふ。
━━『日本書紀』巻第一(第十一書)
アマテラスはツクヨミを隔て離れ、スサノオを地上へ落とした。太陽はラヴやマリッジを知らないで、人や民を支配するだけの悲しい星となる。太陽は、恋をせず、愛さず、ブラザーから離れる。太陽の女神が元は人間だったとしても、崇める者は崇められる者の悲しみを見ない。崇めは悲しみを増やしていく。
The Wolves Pursuing Sol and Mani (1909) by J. C. Dollman.
さて。北欧神話の太陽の女神ソールは元は人間だった。月の神マーニも元人間で彼女のブラザー。北欧の太陽と月は二匹の狼に追われている。
『エッダ━古代北欧歌謡集』谷口幸男訳の『ギュルヴィたぶらかし』11と12より
"Sá maðr er nefndr Mundilfari, er átti tvau börn. Þau váru svá fögr ok fríð, at hann kallaði son sinn Mána, en dóttur sína Sól ok gifti hana þeim manni, er Glenr hét. En goðin reiddust þessu ofdrambi ok tóku þau systkin ok settu upp á himin, létu Sól keyra þá hesta, er drógu kerru sólarinnar, þeirar er goðin höfðu skapat til at lýsa heimana af þeiri síu, er flaug ór Múspellsheimi. Þeir hestar heita svá, Árvakr ok Alsviðr,
「ムンディルフェーリという男がいて、二人の子供をもっていた。二人とも金髪でとても美しかったので、息子をマーニ(月)と名づけ、娘をソール(太陽)と呼び、娘をグレンルという男に添わせて。ところが神々はこの思い上がりに立腹し、ブラザーとシスターをとらえ、天において、ムスペルスヘイムから飛んできた火花から神々が世界を照らすために作ったあの太陽を曳く馬たちの馭者にした。その馬の名はアールヴァク(早起き)とアルスウィズ(快速)というのだ。
Hárr segir: "Þat eru tveir úlfar, ok heitir sá, er eftir henni ferr, Skoll. Hann hræðist hon, ok hann mun taka hana. En sá heitir Hati Hróðvitnisson, er fyrir henni hleypr, ok vill hann taka tunglit, ok svá mun verða."
「それは二匹の狼なのだ。太陽を追いかけているのはスコルという名前だ。太陽はこれを恐れている。いつか、つかまるのではないかと。そして太陽の前をかけているのは、ハティ・フローズヴィトニスソンといい、月をつかまえようとしているのだが、いつかそうなるだろう。」
🌕・🌕・🌕
返事は「はい」か「ワン」の犬デンジは満月と共に描かれ、マキマを追いかける。デンジは太陽を追いかけるスコルのようだ。あるいは、一族のうちで一番強い「Mánagarmr(月の犬)」。
Austr sat in aldnaí Járnviðiok fœddi þarFenris kindir;verðr af þeim öllumeinna nökkurrtungls tjúgarií trolls hami.
東のイアールンヴィズ(鉄の森)に一人の老婆住みてフェンリルの一族を生みそのなかより怪物の姿をとり日を呑み込むものあらわる
Fyllisk fjörvifeigra manna,rýðr ragna sjötrauðum dreyra;svört verða sólskinum sumur eptir,veðr öll válynd.Vituð ér enn eða hvat?
怪物は死に定められた人間の生命をとり腹をみたし神々の座を赤き血潮で染めるうちつづく幾夏かは太陽の光暗く荒天のみとなる おわかりか
━━エッダ『巫女の予言』〔四〇〜四一〕
消えたアサヒ
チェンソーマン世界は夏の北海道で積雪する。パワーは極北にしかいなそうなクマを日本で倒す。日本にソフトクリームが売られる時期にトーリカと師匠が暖炉に火を付け、屋内でも防寒具を着る。早川タイヨウが死ぬ。カレンダーが日曜からはじまらない。アサヒビールは過去に存在したが、ポチタがデンジのために朝日の悪魔を食べ、アサヒスーパードライは「TaTuKi生ドライ」に置き換えられた。昼に夜行性のコウモリの悪魔が飛ぶ。夜行性のコウモリのガールフレンドは“ヒル”の悪魔。チェンソーマン世界は日の光が弱くすごく寒い。「子供の精神を壊すとある星の光」はチェンソーマンに食べられた。北欧神話「怪物の姿をとり日を呑み込むものあらわる …おわかりか?」
光と日の丸側のマキマ
1話はデンジが月光の下でポチタ心臓を得て、マキマは光側からやって来た。マキマは銃の悪魔の真相回で光と日の丸を背負っていた。
血の丸
こんなの日の丸じゃないわ!ただの血の丸よ! だったらレゼの首のピンを抜けばいいだろ!なシーン。マキマは光を背に影を伸ばしている。
作中唯一の「太陽」
この作品で「太陽」の字が出たのは、マキマが千年使用して天使の寿命武器を使ったシーンだけ。 マキマは太陽側だ。
愛のはじまり
そして実は、「コン」は食べる愛のはじまり。
捨てられた昼子を食べる愛
それ神は唯一にして、御形なし、虚にして、霊あり、天地開闢て
━━『稲荷大神秘文』
はじまりの内に、神々は諸天と地をクリエイトした。地は形なく虚ろだった。…神々の霊が水の上を漂っていた。
━━『創世記』1:1-2
『チェンソーマン』は食べる愛の物語。狐はイザナギとイザナミが捨てたヒルコ、昼子を食べた。昼子は京都に戻ってきた。だから、この物語は「愛が恥ずかしい」というイザナギの約束破りとイザナミの呪いから解放される。日本で一番多い神社、稲荷神社の古き祝詞は「神は唯一」とあり、不完全ながら『創世記』1章を残している。『創世記』の最初の章は琉球も中国もミャンマーも残している。稲荷大社を創建したのは渡来人の秦氏。唐の長安にキリスト結ネストリウス派が大秦寺を建てている。長安のネストリアンは「神は唯一」とし「酒造り」「建築」に長けていた。日本に来た秦氏も「神は唯一」とし「酒造り」「建築」に長け、酒の神社の松尾大社を創建し、平安京を造営した。米と日本酒と京都はクリスチャンのおかげ。遣唐使として唐の長安へ留学した空海(774‐835)や最澄(767‐822)はもちろん、『呪術廻戦』で五条悟を封印する源信(942‐1017)もネストリアンの影響を受けている。『チェンソーマン』の公安悪魔は天使側ばかりで、狐の他「幽霊(רוּחַ)」も天使側だ。
聖痕
太陽と月が一つになる前触れとして狐が昼の子を食べる。マキマは弁天をモデルとし、最古の神社で事を行い、日の丸と太陽を背負い、聖痕を空ける。
Εἶπεν οὖν αὐτοῖς ὁ Ἰησοῦς “Ἀμὴν ἀμὴν λέγω ὑμῖν, ἐὰν μὴ φάγητε τὴν σάρκα τοῦ Υἱοῦ τοῦ ἀνθρώπου καὶ πίητε αὐτοῦ τὸ αἷμα, οὐκ ἔχετε ζωὴν ἐν ἑαυτοῖς.
全為すイエスは光受ける肉の彼らとつながり時と肉に宣べた、
真に真に、あなたという人に語る、人の子の肉を食べなければ、
人の子の血を飲まなければ、あなた自身の内に命を持ってこれない。
━ーヨハネの福音書6章53節
太陽と月は…一つになりゃあいいんだ…
デンジは月光を浴びて、ポチタは朝日を食べる。月の犬マーナガルムのデンジ=ポチタは太陽、聖痕持つマキマを食べる。太陽と月は一つになり、こうしてアマテラスとツクヨミが失った愛は戻ってきた。イザナギとイザナミが捨てた昼の子は京都に戻った。『チェンソーマン』は食べる愛の物語だ。
ラヴハグ
Dog、逆さまにするとGodに囲まれ、デンジとナユタは愛に包まれる。
完全漫画
虚空蔵菩薩(明けの明星)を崇める空海や帝達、刀を扱う源氏や侍によって「人の子の肉を食べる者」「酒(人の子の血)好きな者」はオロチや鬼だと喧伝されてきた。漫画で最も難しいのは、オロチや鬼を退治する刀剣を敵側にし、電動ノコギリを主役にし、「神は唯一」の稲荷を墮天使側にし、稲荷に昼の子を食べさせ、輪廻転生(生まれ変わり)を悪魔に限り、デンジとパワーで旧約聖書の「唯一なる神々」側とし、デンジとパワーの「ワシらが創ったんじゃ!」を入れ、虚空で空いてるアキを銃の魔人にし、太陽を直に描かず、弁天を泣く悪魔でラスボスとし、弁天を聖痕持つ「人の子」として食べ、恥なき愛で落とす事だ。タツキの構成力はハンパない。藤本タツキは最高と言いなさい。
2話の表紙も伏線
すごい漫画はシェアされてこそ。『チェンソーマン』はアニメ化して大ヒットする!イェイイェイ。この記事を面白がってスター押し、ブクマ、コメント、リツイートしてくれると助かる(人∀・)タノム
追記:聖書の武器職人と武器の破壊者が気になっちゃった人向け。
“クリエイト”一語は「武器職人と武器の破壊者」「天国と地獄」「悪魔の名前の存在を消す」「森の伐採」「ダビデの食べる/食べない愛」につながる。