【いなかもの】東京と京都と大阪の民は《シティ》がわからない

ハロー、エヴリワン。
これは日本民、東京都民や京都民が150年経っても
ラヴとシティと“ジャステス”がわからないことへの哀れみ。
ラヴの神はブラザーやシスターを兄弟姉妹の上下に分けない。
ラヴの神はヒューマンを先輩後輩の上下に分けない。
ラヴの神は味方(御方)という皇族用語を持たない。
ラヴの神は民という下級階級をつくらない。

日本人は兄弟姉妹や民や正義の御方(味方)の不平等に無自覚な泥人形だ。
これらのラヴなき不平等は西洋や中東にない。
先輩後輩や上司部下は江戸時代にない非日本階級だが、
全ての日本民は「日本と非日本」を区別する識別力がない。
その姿は美も装飾性もない埴輪のよう。
ユナイテッド・ステイツとリパブリック・フランスは、
聖書の正義に基づいて王と臣民(※)を廃止した。
※SUBJECT。臣民は誤訳。「主語」「主観」「主体」とも誤訳されている。
だが頭蓋骨の中に泥んこが入ってる日本学校の先生は、
授業をひとつも持たない。泥ドロ先生は独立と革命が
わからない泥んこなので、生徒もみな泥ドロ生徒に。
帝王と臣民を廃止して近代化した欧米諸国はモダン国だ。
天皇と臣民を設立して逆近代化した日本国は泥人形国だ。
日本はポストモダンどころか、まだモダン化していない。
覚な泥人形で、モダンとシティとシティズンを知らない。
シティは全ての市を「京(都)」化すること。
シティズンは全員を「京人(都人)」化すること。
だが中世的な“京都”に住む浅田彰や中世的な“東京都”に住む東浩紀は、
シティとシティズンがわからない。柄谷行人や小林秀雄もいなかもの。
クリティークの批評誤訳に無自覚で、シティとシティズンがわからない
批評家(笑)は中世民だ。いなかものは西周の全文字誤訳を信じる馬鹿者。
モダンは天皇と大臣と国民(庶民)の差別を廃止し、
天皇と大臣と庶民が同じ《京人(都人)》になること。
モダンは「京(都)」と地方の差別を廃止し、
全ての街を「京(都)」化すること。
全ての日本民は天皇や大臣や国民市民の差別を語るいなかもので、
現代的なシティガールやシティボーイは東京や京都や大阪にいない。
日本の皆は、国や民族で差別しないザ・ピープルを国民と呼ぶ差別者。
地方民や大臣や帝がいないことがモダンの国と京人だ。
日本民は天皇と国民と市民の呼び名を止めない限りいなかもの。
またいなかものはジャステスがわからない。
いや、いなかものは三つの「正」を理解していない。
聖書の「正義」ライチャスネス。
人類の「正直」ライト。※権利と誤訳されている。
国内の「公正」ジャステス。
いなかものの著作や映画や時代劇や特撮やアニメなどで、
これらの「正」が表現された作品はない。明治と大正と昭和
と平成と令和という年号そのものが三つの「正」に反する。
いなかものは最新の「都」「都人(京人)」「正」がわからない。
東京都と京都がシティでないから、地方はさらに田舎。
責任の大半は二つの都民にあるが、向上心なき県民も悪い。
東京都や京都はミヤコではなく泥の村だ。
京人を広めるまで日本は泥の国。
ラヴとシティとジャステスを受け入れるまで、
日本民は人に成り損ねた泥人形のまま。
ああ、
はやく泥の国を片づけられますように。
はやく泥人形が京人になれますように。
はやくモダンな新国を建てられますように━━。